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四半世紀も眠っていた「田中角栄の愛弟子」が安倍一強打倒に動き出した――2018上半期BEST5

幻の中村喜四郎独白録「私と選挙と田中角栄」#2

2018/08/17

genre : ニュース, 政治

「そんな気の遠くなるようなことをしているのか」

――中村さんは無所属を貫いています。選挙では「党より人」というキャッチコピーを使ってきました。現行の小選挙区比例代表並立制は無所属に絶対的に不利とされていますが、中村さんは導入後も7戦無敗です。

 無所属のほうが、「自分」というものに強烈にこだわって打ち出して行ける。それを逆手に取ってやっています。政党に属することによって個性を失うことよりも、無所属でいることによって、一切の付加価値はないけれども、自分の生き方、自分の存在感を社会に再認識してもらうことができる。これは政治家としてダイナミックな戦い方だと思っています。

茨城7区で当選、万歳する中村喜四郎 ©共同通信社

 ただし、自民党に風が吹こうが、民主党に風が吹こうが、いつも逆風ですよ。その逆風を跳ね飛ばすことこそ、私の政治家としての真骨頂だと思ってやっています。そうやっていると、今の自民党も民主党もたいしたことない。薄っぺらさが透けて見えるわけですよ。ハッタリだけで騒いでいるだけだ、生き残ってみせる――となるわけですよ。

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 自民党や民主党の人間からすれば、どうして私が生き残れているのかわからない。国会議員の中にも「中村さんの話を聞きたい」と言って、時々、人が来ますけど、あまりにも単純な基本を大切にしているだけなので、「そんなことで生き残っているのか」、「そんな気の遠くなるようなことをしているのか」という反応をされます。もうちょっと特殊なことをして、生き残っているんだったら学び甲斐があるけど、そんな気の遠くなるようなことをやっているだけならあまり学びたくないなと思われるほど、基本的なことをしているだけですよ。

 田中さんがやっていたことも、私がやっていることもあまり変わらない。非常にオーソドックスな、非常にシンプルなことを大切している。だから、怖いことはない。逆境の中でも勝ち抜けられる。逆に基本を押さえずに、一喜一憂し始めると、何をやっているかわからなくなる。パニックになる。

 政治家だから、いろんな場面にぶつかります。その時に逃げない。必ず跳ね飛ばして闘う。良い時ばかりじゃない、悪い時も受け止める。あとは有権者を裏切らない。自分を信じてくれる人を大切にする。

自宅の庭にて ©文藝春秋

起訴状を選挙区内の全戸に配って歩いた

――田中角栄も中村さんも刑事被告人になって有罪判決が出ても、いっこうに支援者が離れず、選挙で勝ち続けている。そういう点も師弟に共通しています。中村さんの場合、140日に及ぶ拘置期間中、完全黙秘を続け、検察が供述調書を一通も作成できなかったことは、政界関係者の間で「伝説」として語り継がれています。

 田中角栄から学んで、政治家になって、刑事被告人になって、三度の有罪判決を食らって、刑に服してもなお、中村喜四郎が政界に存在しているのはなぜなのか。

 私は田中さんの秘書だったから、自分でも無罪を勝ち取りたいと思って裁判を戦いましたよ。だけど無罪は取れなかった。田中さんは最高裁まで行って、途中で健康を害して議員を辞めたけど、私は議員を辞めていない。検察にも裁判所にもバッジを取らせなかった。裁判中も選挙を勝ち抜き、刑務所に行って戻ってきてもなお、有権者の支持を受けて選挙で勝ち続け、あの事件の不当な裁判に抵抗する意思を示している。これこそ田中角栄仕込みの戦い方です。

 拘置所では完全黙秘を通して、裁判の中で真実を語ろうと思ったけど、いざ裁判になったら、検察側が私に対して質問しなかったんですよ。それは何でか。私に質問すると証拠がないから、これ、記録になっちゃうわけですよ。(検察は被告人に)一切質問をしないという異例の裁判をして、梅沢節男という当時の公正取引委員会の委員長が言ったことだけを、「この人は嘘をつく人ではない」という前提で事件を作っていったわけですよ。

 そういうやり方に対抗して、私は完黙を通した。「中村喜四郎は無罪だ」と主張して、起訴状を選挙区内の全戸に配って歩いた。有罪判決になったら、その判決文を配った。それを配って、そのどこまでやれるかと思いましたが、有権者は「不都合なことがあれば配るまい」「これは何か訴えたいことがあるんだ」と思って下さって、後援会も「オレたちが最後まで支えよう」となったんです。

©文藝春秋

 私が弁解がましく、「罠にかけられた」「ああされた」「こうされた」と言っていたんでは、みんなもうんざりしたでしょう。国民は、政治家から言い訳を聞かされるのが嫌なんです。私は一切弁解せずに、事実は事実として受け止めて闘った。「闘うならばいい」となるんです。

 田中さんも最後まで闘ったから、根強い人気が今でも残っている。「逆境を逆境として跳ね飛ばす」なんて大上段に構えるんじゃなくて、己の身に降りかかってきたことをしっかり受け止める。絶対に頑張り抜く。こうしていたら、大衆に何かが伝わっていくんじゃないですか。順調な時は誰だって同じことができる。追い込まれた時にどうするかが問われている。これは、政治家の基本なんですよ。