『豊臣家の包丁人』(木下昌輝 著)

 豊臣家による天下統一の陰に、凄腕の包丁人(料理人)がいた――。戦国時代の料理に光を当てた、長編歴史小説である。

 1615(慶長20)年、大坂夏の陣により、豊臣家は滅びた。徳川家の重臣だった天野康景の子、天野六右衛門は戦さに出遅れたが、ある男を探し出す。徳川家に内通して大坂城の台所に火をつけ、黄金を盗んだと言われるその男、大角与左衛門(おおすみよざえもん)は、秀吉の代から豊臣家に仕えた包丁人だった。与左衛門は、〈俺を大御所様のところへ連れていけ〉と言い、大御所家康に会わねばならない理由を六右衛門に話し始める。

 物語は、木下小一郎(のちの豊臣秀長)ら、豊臣家の人々の視点を主にして語られる。尾張国中村に生まれた木下藤吉郎(秀吉)は、織田信長のもとで清州城の台所奉行になった。弟の小一郎も出仕してコツコツと蓄財するが、出世に金が要る兄に散財されてしまう。兄弟喧嘩を収めたのは包丁人、与左衛門の料理だった。屑として扱われていた雉の内臓を、特別な味噌で絶品汁に仕立てたことに始まり、下魚の蒲鉾、泥鰌(どじょう)の味噌鍋、そこにべのテンポーラなど、与左衛門の料理が兄弟の窮地を救う。秀吉は乱世で一番になろうとひた走る。〈一番にならなきゃ駄目なんだ。今のままじゃ、木下家はいつか強え奴に食い潰される〉――。

ADVERTISEMENT

 戦国時代の人々は、平穏に暮らすために殺し合うという、矛盾した状況に置かれていた。やがて天下を制した豊臣家にとり、徳川家が最大の脅威になる。〈頼むから負けてくれ。もう家族を苦しめないでくれ〉と思いながらも、兄に引きずられる弟の視点で語られていくように、本書は「家族」の物語でもある。「食」に着目して、豊臣家と徳川家を対比させている。賑やかに食を楽しんで、中村の大根と牛蒡(ごぼう)を思い出の味にする豊臣兄弟に対し、幼い頃に両親と別れ、誰と食事をする時も警戒していた家康。一六一五年を起点にして過去を辿るため、滅亡までに何があったのか? に引き込まれる。

 大角与左衛門は、豊臣秀頼の代に大坂城で台所頭を務めたという、実在の人物だ。わずかに記録が残る包丁人を謎めいた存在として物語に据えて、豊臣家の興亡を描き上げている。兄弟のやり取りや心の動き、目にした光景が自然に、精細に描出されているので、読者の脳裏にその場の様子がありありと浮かぶ。

 乱世を平らげた豊臣家に仕えた包丁人が、人々の思いを載せて天下一の料理を作る。〈泥水の中で育っても、綺麗な水と酒を与えれば、泥鰌も上等の味になる。お前もそうだろ。今まで修羅場をくぐってきた。何事にも代え難い経験だ。もっと自信を持て〉。室町末期~江戸初期を舞台にしながら、今に通じるところがある。史実を巧みに踏まえてその“裏側”に魅せられる、人間たちの物語だ。

きのしたまさき/1974年生まれ、奈良県出身。近畿大学理工学部建築学科卒業。2012年「宇喜多の捨て嫁」でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。20年『まむし三代記』で日本歴史時代作家協会賞作品賞、中山義秀文学賞、25年『愚道一休』で新田次郎文学賞、渡辺淳一文学賞を受賞。

あおきちえ/1964年、兵庫県生まれ。フリーライター・書評家。日本推理作家協会会員。東京新聞などで書評を担当。

豊臣家の包丁人

木下 昌輝

文藝春秋

2025年11月12日 発売