「あぁ、松本智津夫だ。そうか、彼は松本として死にたかったんだ」
7月7日午後2時、東京拘置所――。代理人を務める松本の四女と共に遺体に対面、棺に入っている顔を見たとき、滝本太郎弁護士はそう感じたという。
「宗教団体オウム真理教の教祖・麻原彰晃でも、法廷で裁きを受ける被告人でもなく、松本智津夫という一人の人間の遺体でした」
滝本弁護士とオウム真理教との戦いは30年にも及ぶ。
1989年、滝本弁護士は友人の坂本堤弁護士から「あぐらみたいな恰好で空中浮揚しちゃう宗教があるんですよ」と、オウム真理教の存在を知らされる。そのときは宗教団体や信者を相手にすることの大変さを知っていたため、オウム真理教に関わるのを「嫌じゃ、嫌じゃ」と断った。
「しかし1カ月もしないうちに坂本が、妻の都子さん、赤ん坊の龍彦君ともども突然いなくなってしまいました」
滝本弁護士はすぐにオウム真理教被害者対策弁護団に加わった。
1994年には、自ら4度もサリンやVXガスでオウム真理教から命を狙われた。地下鉄サリン事件などで松本をはじめ教団幹部らが逮捕された後は、裁判にも関わり、早川紀代秀や井上嘉浩とも対話を続けてきた。家族の元を離れて暮らしていた四女の代理人も引き受けた。
今年、7月6日、オウム真理教による一連の事件で死刑判決を受けていた松本と、元幹部ら合計7人の刑が執行された。その20日後には、残された6人の刑も執行された。
あらためてその感想をこう語る。
「松本のオウム真理教に殺された坂本(堤弁護士)の顔が浮かんできました。彼はいま、何を思っているのだろう、と」
滝本太郎弁護士が教団と対峙し続けてきた30年間を振り返り、いま四女と共に世の中に訴えたいこと、後継団体の現状などについても語ったインタビュー全文は「文藝春秋」9月号に掲載されている。