『死者たち』(クリスティアン・クラハト 著/髙田梓 訳)

 戦時下の映画がその製作過程自体、スリリングな政治的文化工作であることは実はありふれている。

 だから本作が、あの甘粕正彦による国策映画製作の密かなる依頼がドイツのウーファ社経由でスイス人映画監督エミール・ネーゲリにもたらされることで始まったとしても驚くことはない。次々と登場する映画人たちとプロパガンダの関わりは自習した方が楽しいので無粋な説明はしない。それでも、映画におけるナチズムの予兆を後に論じる実在の批評家二人が、いささか無責任にホラーを撮れとネーゲリをそそのかしながらさっさと亡命してしまうと、流石に絶句はする。

 無論こんな史実はない。ネーゲリも架空の人物だ。

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 つまりこの小説は映画史を偽史的に書き換える目論見からなると言える。

 そもそも著者クリスティアン・クラハトのスタイルは「歴史改変」だと側聞する。小説によるそれとは、日独二つのファシズム国家が戦争に勝利し北米を占領支配するという世界線で描かれるフィリップ・K・ディックのSF『高い城の男』に代表される代替歴史小説を思い浮かべていいだろう。

 だが、そもそもプロパガンダ映画は現実の代替や偽史を用意する技術だ。そこでクラハトの追求する主題に対してプロパガンダ映画製作という題材は適切であるうえ、映画という装置を介在させることで代替現実という主題が自乗もされる。

 このような虚実の混淆を著者自ら愉しむための仕掛けが、少年時代ギムナジウムの如き学舎で男性教師を無邪気に籠絡する少年として描かれる甘粕である。実際の彼は身長150センチ少しといわれ、当時としても小柄のはずだがクラハトの描く甘粕はどう考えても外見は『ラストエンペラー』の坂本龍一だ。

 これまたクラハトの技法であるパスティーシュなのか逆説的オマージュなのか、三島由紀夫のイメージを糖衣の如く纏わすところも手が込んでいる。甘粕がドイツ側に送りつける切腹映画や、ネーゲリが覗き穴から自分の恋人の情事を目撃するくだりがどの三島作品からの引用かはいうまでもない。するとネーゲリもまた三島かもしれないという気がしてくる。

 ネーゲリを三島化させるための仕掛けが、甘粕の情事の場でもある「西洋らしさを悪趣味に装っている」と描写される屋敷だ。実際の三島邸がビクトリア朝時代のコロニアル様式風、つまり西欧の植民地的コピーのコピーとして設計されたことは知られるところだ。ネーゲリを自死に誘う謎の文士の部屋には聖セバスティアンの複製がキッチュに飾られている。この殉教画が三島の自己像であったことも説明不要だろう。やはりネーゲリも三島である。

 ならば本作は映画史の偽史世界でネーゲリと甘粕の二人がいわば代替三島由紀夫の運命をそれぞれ演じる物語であり、三島論として愉しむ趣向も可能なのだ。

Christian Kracht/1966年スイス生まれ。作家、脚本家。95年、再統一後のドイツを描いた小説『ファーザーラント』でデビュー。以来、現代ドイツ文学の最重要作家とされる存在に。著作は30カ国以上で翻訳されているが、邦訳刊行は約30年ぶり。

おおつかえいじ/1958年東京生まれ。まんが原作者。甘粕正彦が偽史映画を画策する小説『木島日記 もどき開口』もある。

死者たち

クリスティアン・クラハト ,髙田 梓

河出書房新社

2025年11月27日 発売