文春オンライン
86歳 小林亜星が語る「僕と寺内貫太郎、それぞれの戦後73年」

86歳 小林亜星が語る「僕と寺内貫太郎、それぞれの戦後73年」

作曲家・小林亜星インタビュー#2

note

バブル以降の「銀行感覚」、正論なんですよ。でもねっていう

――小林さんなりに、戦後の時代の変わり目みたいなものを感じたことはありますか?

小林 どうですかね……。音楽業界で言えば、国民的ヒット曲ってなくなったでしょう。売れている曲はあっても、みんなが知っている曲って、今どうなんだろう。それは、バクチ的な感覚が薄くなっていることに原因があるんじゃないかって、僕は思っているんです。

――バクチ。

ADVERTISEMENT

小林 そう。何かヒットさせるって、バクチの世界ですよ。ところが、バブルの頃からかなあ、それこそ平成が終わるわけですけど、あのバブル景気の頃にテレビでもレコードでもヒットを目指す商売に「銀行感覚」が入ってきちゃったんですよ。たとえば、メインの商売より不動産売買で儲けを出していくような方法が増えてきた。そうなると、銀行感覚の人の声が大きくなって、モノを作り出して売る会社で「こんなカネ使って、当たればいいけど、じゃなきゃゼロですよ」って意見が強くなってくる。いや、それは正論なんですよ。でもねっていう。

 

――おっしゃるように、いろんな意味で窮屈な時代にはなってきている気はしますね。

小林 『寺内貫太郎』なんて、今じゃ放送できないんじゃない(笑)。下手すると、家族ゲンカのシーンが暴力的だなんて言われかねないでしょう。

86になっても、不良の癖は抜けません

――そういえば、久世演出では「不幸な人ほど幸せな家族を演じられる」って名言があるそうですね。

小林 久世さんらしいですよね。それはね、たとえばお嫁さんが楽しそうに日曜のいい天気の日に縁側を雑巾がけしていると。そういう場面を作るには、私生活でも新婚ホヤホヤの幸せいっぱいみたいな人がやってもダメなんだっていうわけです。なぜなら、そういう幸せな人は、自分がいかに幸せかよくわかっていないから。

――なるほど……。

小林 フラれて、もう死にたいって思っているくらいの人が演じた方が、幸せな感じはバッチリ出ると。

 

――小林さん自身はどうだったんですか? 貫太郎を演じているとき。

小林 僕はだから……、前のカミさんと別居し始めて、今のカミさんのところにかけ込んだばっかりのとき。事務所の人に頼んで、前の家から僕の着替えを持って来させたりしてました。で、全財産渡して、持ってたボロベンツとパンツで出てきたようなもんだから「ベンツとパンツ」の時代ですね、あの頃は。

――小林さんご自身は、貫太郎みたいな父親ではないんですか?

小林 全然。だってこの不良の体たらくですよ。いい父親だったなんて言えません。この前、肺炎になっちゃって、命拾いしたんですよ。しばらく大好きな酒は控えているんですけど、そのうち銀座に行くと思いますよ。いやあ86になっても、不良の癖は抜けませんね(笑)。

「貫太郎だったら怒るだろうね、コノヤローって」(笑)

こばやし・あせい/1932年東京生まれ。慶應大学経済学部卒業後、製紙会社社員を経て、作曲家・服部正に師事。レナウンの「ワンサカ娘」など数々の名CMソングを生み出す。童謡『あわてんぼうのサンタクロース』、アニメ『ひみつのアッコちゃん』のオープニングテーマ、都はるみの『北の宿から』など、その作曲作品は多岐にわたる。1974年『寺内貫太郎一家』以来、役者としても活躍。

写真=榎本麻美/文藝春秋 

86歳 小林亜星が語る「僕と寺内貫太郎、それぞれの戦後73年」

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー