「キリスト教はイノベーションと相性が良い」というティールの信念

 まず議論の前提となる本論考、冒頭三段落目にある、ティールのキリスト教理解を確認したい。ここに示されているのは、キリスト教は根本的にイノベーションと相性の良い宗教だというティールがしばしば口にする考えである。

 言及されている「ダニエル書」は、旧約聖書に収録された終末論と「反キリスト」について語っているテキストで、ティールはこの書物を古代にあって単線的に進む「歴史」を初めて記述した書物として位置付ける。彼によれば、新約聖書はそうした歴史理解を更に明確にした。つまり彼は、新約聖書の神こそ、最初の「進歩史観の信奉者」だと述べ、以下のように続ける。

「新約聖書がその新しさによって旧約聖書に取って代わったのであれば、そして啓示が完結していないならば、キリスト教徒は「知識が増す」(ダニエル書12:4)可能性を、ベーコン的な科学という俗なる領域においても受けいれるべきではないのか?」

レンブラント『ベルシャザールの饗宴』 バビロニアのベルシャザル王が酒宴を催した際、突如神の手が現れ、壁に王の治世が崩壊する予言を壁に書いたという場面。バビロン捕囚という絶望的な状況下にあっても、列強の王たちを支配し、最終的に永遠の神の国を確立する全知全能の主として神が描かれる。
レンブラント, Public domain, via Wikimedia Commons

「新約」という概念には、新しいものが古いものにとって変わるというイノベーション的な思想が表明されているとティールは考えている。加えて、キリスト教の神の啓示は、歴史を通じて徐々に明らかになり、最後には完成するという理解に立っている。 

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 これは伝統的なキリスト教の教義だ。これらの考えを受け入れるならば、キリスト教徒は当然、世俗社会における科学技術の進歩を推進するべきだとティールは主張する。こうした独特なキリスト教理解に立ち、ティールは「世の終わりへの旅」では文学およびサブカル作品を用い、科学技術の発展とキリスト教信仰の共存こそが人類の活路であることを示そうとしている。


 [1] Robert C. Fuller, Naming the Antichrist: The History of an American Obsession, Oxford University Press, 1995.

 [2] 柳澤田実「米国の終末論の現在:ピーター・ティールや福音派はどのような「最後」のために戦っているのか」『現代思想:終末論を考える』2025年11月号、青土社、2025年、79-90頁。

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