「ハーンの熊本への嫌悪はすぐにも、学校の同僚たちとの感情的な軋轢に発展する。東京・横浜での夏休みを挟んで、それは、感じやすく激しやすいハーンの側で、極限に達した。十月上旬、熊本での生活は破綻を来たし、一家を引き連れ、逃げるように神戸に移る」
決してムダな3年間ではなかった
ハーンとセツが3年ほど暮らした熊本を離れ、金十郎とトミも一緒に神戸に移ったのは(万右衛門は松江に帰った)、明治27年(1894)10月のことだった。
実際、ハーンの熊本嫌いは極限に達していたようで、それが日本嫌いにまでつながろうとしていた。西田に宛てた手紙にも、「日本人を理解できると信ずる外国人は、何と愚かであろう!」とまで書き、「地獄であるものを天国であると思い込んでいたのです」というのが、日本に対する感想になっていた。
とはいえ、現実には「神々の国の首都」たる松江だけが日本なのではない。小泉凡氏はハーンについて、「この時期、軍都として勢いを増していく熊本で暮らしたおかげで、『明治の日本』という近代国家の現状が、少し冷静に見えるようになった面があります」と書く(前掲書)。
松江とハーンの生誕地であるギリシャのレフカダ島は、自然条件がよく似ているといわれる。だからハーンは、日本という異文化を故郷と同一視した面があるようだが、それだけなら、ハーンの日本観はロマンティックな幻想で終わってしまう。その意味では、熊本でいだいた違和感は、ハーンの日本観が地に着いたものに成長するために、必要だったのかもしれない。
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
