工藤會は2000年代に入ってから、暴力団排除をかかげたクラブに手榴弾を投げ入れる「ぼおるど襲撃事件」(2003年)など、民間人を巻き込む事件を数多く起こしています。
工藤會が全国唯一の特定危険指定暴力団とされたのは当然の結果です。北九州港湾工事のキーマン射殺、手榴弾によるクラブ襲撃事件、トヨタ自動車小倉工場への手榴弾投擲事件、看護師に対する組織的殺人未遂事件、歯科医師に対する組織的殺人未遂事件など、工藤會がカタギを狙った凶悪な事件は、紙幅の都合上割愛しますが、枚挙にいとまがありません。
社会の元ヤクザに対する「厳しい視線」
このように組織内の風向きが変わったのは、代替わり(親分の交代)があり、溝下元会長も病気で他界した後のことでした。Nさんがある事件で服役している間にも、組織は大きく変わりました。長い懲役を経て組織に戻りましたが、そのような組織の方針についてゆけないと感じ、やがて離脱を決心したと回想しています。
しかし、離脱したNさんを待っていたのは、暴力団離脱者には「生きづらい」暴排社会でした。離脱後、Nさんは民間企業への就職を考え、幸運にもある運送会社の社長から声をかけられます。しかし、入社直前になって、その会社に在籍する警察官OB役員の反対に遭い、雇用契約の実現には至りませんでした。
マイナスからのスタート
このとき、Nさんはマイナスからのスタートを誓い、うどん作りの修行をして、小倉の繁華街の一角で、地元のソウルフードである「肉うどん」の店を出すことにしました。
不動産会社を通した契約はできませんから、理解のある知人の大家さんから直接お店の物件を借りました。
Nさんは、カタギになって以来、「人は誰しも簡単には手を差し伸べてくれない」「社会はそんなに甘くない」からこそ、自ら人と交わることを意識したと言います。そして「自分の覚悟次第では受け入れてもらえる」と信じ、店舗のある商店街の理事会に挨拶のため足を運び、清掃活動や町おこし行事にも率先して取り組んでいます。