「おれは人生で何がしたかったのだろうか」
27歳で大学に入り、31歳で就職氷河期に放り出された男は、長い迷走の末、なぜ“暴力団博士”と呼ばれる存在になったのか。貧困、家庭内暴力、非行、挫折。そのすべてをくぐり抜けた先にあった、人生を決定づけた「5分間」を辿る。
ノンフィクション作家で社会学者の廣末登氏の新刊『ヤクザが消えた裏社会』(筑摩書房)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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筆者は、2025年4月時点で、おおよそ22年間、反社会的勢力の研究をしています。
なぜ、それほどの期間、反社研究をしているのかと、マスコミの方にも聞かれます。他に研究する学者が日本にいないことと、2015年頃から、反社会的勢力の性質が大きく変化したことから、やめられなくなったのです。
ワシントンポスト誌では「ヤクザのエキスパート」と書かれ、毎日新聞のコラム「憂楽帳」では、鈴木一生記者から「暴力団博士」とよばれる筆者の背景を、少し紹介させていただきます。
「暴力団博士」になったワケ
筆者は、貧しい家庭に育ちました。今でいうDV家庭で、父親の暴力に怯え続けた少年時代でした。その父親が、「学校に行くと負の人格投影(他者からの悪い影響)を受けるから、家で勉強させる」と宣言したため、小学校にはほとんど登校しませんでした。
40代後半になって地元で偶然、当時の同級生と会うと、「自分、転校したよね」といわれる始末です。
福岡市中央区天神が、中学校の校区でした。今のようにインターネットが無い時代ですから、ゲームはゲーセンに足を運ばないとプレイできません。当時の筆者にとって、これほどハマったものはありません。学校の校則がブラックで、坊主頭にしないといけないのがいやで、学校には行かず、自分の意志で街のゲーセンに通っていました。
ゲーセンやディスコ、飲み屋がある街は、「盛り場」といいます。そうした場所に出入りしていると、悪い先輩や土地のヤクザやチンピラとも知り合いになります。こちらは中学生ですから、年長の彼らは優しくしてくれます。居心地は悪くありません。気が付いたら、筆者も不良になっていました。
