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“賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか――2018上半期BEST5

エベレストで死亡した登山家の実像

2018/08/24
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栗城さんはなぜ難しいルートを選んだのか

 であるが、昨年、私は、自分のブログで、栗城さんに批判的な論調の文章を公開した(森山編集所「栗城史多という不思議」「栗城史多という不思議2」)。栗城さんは、昨年のこの時期にも、エベレストに挑戦しており、フェイスブックなどで随時報告されるその登山のようすを見て、「いくらなんでも、あまりにもむちゃくちゃだ」と、自分の明確な感想として初めて感じたからである。なにがむちゃくちゃだったのか。ひとつは、登山として。もうひとつは、栗城さんの掲げる「冒険の共有」として。

2015年に行われたネパール復興チャリティイベント「ネパールと共に」に出席した栗城さん ©文藝春秋

 まず、登山として。栗城さんは昨年、北壁というルートからエベレストに登頂しようとしていた。エベレストは現在、多くの人が登る大衆登山の場となったが、それはノーマルルートと呼ばれる、もっとも簡単な登路から登り、さらに、熟練のプロガイドがついてこその話。近年、最高齢登頂で話題になった三浦雄一郎さんや、日本人最年少登頂者となった南谷真鈴さんも、みなこの手法で登頂している。一方で栗城さんは、はるかに難しい北壁を登路に選び、ノーマルルートから登るほとんどの登山者が利用する酸素ボンベも使わず、しかもたったひとりで登るという。同じエベレストといえど、この両者は難易度において、「雲泥」という言葉では足りないほどの差がある。プロガイドと酸素ボンベ付きのノーマルルートが、普通の大学生でも達成可能な課題である一方、北壁の無酸素単独登頂は、世界中の強力登山家が腕を競ってきた長いエベレスト登山の歴史のなかで、まだだれも成し遂げていないのだ。

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「そんな困難な課題だからこそ挑戦のしがいがあるのだ」という意見もあるかと思う。登山はもともと、未知未踏を切り拓くものであって、冒険を否定しては成り立たないものだ。私自身がそんな冒険の魅力に惹かれて登山を始めた人間であるから、人の挑戦は否定したくない。だが、そんな私から見ても、栗城さんの実力と、掲げる目標の乖離は、度を超しすぎていると感じた。栗城さんの登山の実力は、やってきたことを客観的に見れば、多くのノーマルルート登山者と同程度と思われる。その実力で、北壁を無酸素単独で登ろうとするのは、どう考えても自殺行為だ。「登山としてむちゃくちゃだ」と感じたのは、こういうことなのである。ここはとても重要なところなので、本当に理解していただきたいと思う。