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「大谷の再来」と期待されたエースの故障

 勝利を追い求めて苦しんだチームとして思い出すのが、2014年、夏の甲子園初勝利を挙げた盛岡大附属高校だ。当時、盛岡大附のエースだった松本裕樹(ソフトバンク)は右ひじの靭帯に炎症を抱えていたが、2回戦の東海大相模戦に先発した。

 松本は、高校通算54本塁打を放つなど、打者としても好成績を収め、大会屈指の剛腕と評判だった。その活躍ぶりから、同じ岩手県で二学年上の大谷翔平(エンゼルス)に続く二刀流の逸材とプロにも注目されていた。しかし、東海大相模戦では、150キロを持つはずの松本のストレートは140キロに満たないほどにまで球速が落ちていた。それにもかかわらず、続く3回戦でも盛岡大附の指揮官・関口清治監督は松本を起用、すでに限界だった松本は3回途中9失点で降板した。

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 大会後、松本が3カ月間の休養を余儀なくされたこともあって、関口監督は、後にこうした一人の選手に偏った起用法を排する方針に切り替えたが、当時はそんな考えには至らなかったと語っている。

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「うちのチームには全国で勝てる投手が松本しかいなかった。他にも投手はいたんですけど、2、3番手の投手との力に差があったので、松本が先発するしかなかった」

 そもそも、松本が故障したのは、夏の大会を迎える過程で、関口監督が松本の起用にこだわりすぎたからだ。トーナメント制で一戦の負けも許されない戦いゆえに、監督も松本の不調を知りながらも「甲子園で勝つためには松本が投げなければ」とエース依存に陥っていたのである。盛岡大附はこの「失敗」から学び、エース一人に頼るのではなく、複数のエース候補を育てるチーム作りに方針転換した。

 盛岡大附のように、目の前の勝利を優先して偏った選手を起用することは、甲子園では珍しいことではない。表沙汰にはなっていないだけで、「勝ち」にこだわるあまり、球児を負傷させてしまったり、プロに行ける可能性がありながらその道が閉ざされてしまった「甲子園の犠牲者」とも言うべき球児が後を絶たないのだ。