高校生に「負けられない戦い」を強いている2つの問題
私は、甲子園が「高校生のための大会」という原点に立ち返るために、解決すべき問題は大きく二つあると考えている。
一つは、高校野球の年間スケジュールが詰まりすぎていることである。夏の甲子園開催期間中の今の時点で、秋季大会の組み合わせが決まっている地区があるほどで、甲子園が終わって身体を休める間もなく次の大会が始まる。フィジカル的にも、テクニカル的にも未熟な高校生たちはじっくり鍛え上げなければいけないが、3年生が高校野球から引退し、新チームに移行してから3週間ほどで「春の甲子園切符」を懸けた大会に突入するのだ。
二つ目は、高校野球の大会の多くで採用されている「トーナメント制」だ。つまり、「負けたら終わり」の一発勝負の戦いである。高校球児は、研鑽と経験を積むべき時期に、「負けられない戦い」を強いられている。一年の間でもっとも盛り上がる、夏の甲子園が一発勝負になることはやむを得ないかもしれない。しかし、夏の大会を迎える過程においては、選手を育成するという観点から、見直すことができないだろうか。
夏の甲子園の一本化も視野に
本来、人は失敗から学んでいくものだが、高校野球の仕組みではそれが許されない。常に安定的に勝てるチームづくりをしなければいけないシステムが高校球児を追い込んでいるのだ。
夏の風物詩として「夏の甲子園」を守りたいなら、春夏2回ある甲子園を、夏に一本化することも視野に入れて、全体のスケジュールを見直すべきだ。高校球児を育成する「アスリート・ファースト」の視点から、例えば、秋から春までの間はトーナメント制からリーグ戦方式を取り入れ、センバツ大会を開催しないというのも一つの方法だろう。
敗北が許される環境をつくることで指導者や選手たちが勝利だけを追いかけずに済むようになれば、選手起用の幅は広くなるだろうし、ミスや失敗を許容する環境ができる。短期間でチームを作り上げる必要がなくなるから、勉学とのバランスを取ることにもつながるはずだ。
いまの制度を何も変えずに、熱中症や投手の登板過多などから高校球児たちの身体を守り、学生の本分を全うさせながら、高校野球の歴史を守り続けるというのはどだい無理な話だ。
今の甲子園は高校球児のための大会になっているのか。101年目を迎えるにあたり、甲子園を再考しようという機運が高まってくれることを願う。