あの人を思えば、強くなれる。背筋を伸ばして生きていける。あの人に恥ずかしくない自分でありたい。そんな相手に一人でも出会えたら、それは幸せな人生だと言えるのだと思う。グリンダとエルファバのように。たとえ、二度と会うことはなかったとしても。
この時代に、この作品を上映することの意味
オズの国が隠していた真実を知り、それぞれの道を歩むことになったエルファバとグリンダ。言葉を奪われ虐げられる動物たちの自由を求め、エルファバはレジスタンスとして戦い続けるものの、広報官であるマダム・モリブルの扇動によって“悪い魔女”として民衆から忌み嫌われるように。一方のグリンダは“善い魔女”として民衆の希望の象徴となり、憧れの存在として幸せな日々を過ごしていたが、このままでいいのかと胸に巣くう違和感をぬぐえないでいた。
冒頭から言葉を奪われた先には何があるのか、「幸せの黄色い道」はどうやってできあがったのかをまざまざと見せつけられ、思わず言葉を失った。舞台版では描き切れなかった動物たちを待ち受ける地獄の具体的な描写は、まさに人間の歴史の中で何度となく繰り返されてきた差別と搾取を模している。のちに動物たちへの差別を見過ごした結果、ボックたちマンチキン人に待ち受ける運命も含め、この時代にこの作品を上映することの意味から決して逃げない演出に、制作陣の気概を感じた。
ついにはここでは生きていけないと、危険が待つと知りながらもオズの外へと逃げようとする動物たちへ、エルファバが訴えかけるようにして歌う新曲「No Place Like Home」は、故郷を追われて生きていかざるを得ない人たちへの応援歌そのものだ。あのオズの魔法使いの有名なセリフ「おうちがいちばん」からこんな力強いプロテストソングが生まれるなんて。
見ないふりをすることは、想像以上に強い立場選択となる
抑圧され続けた果てに自らを解放するエルファバ視点でカタルシスと高揚感のあった前編に対し、後編はグリンダに焦点をあて、その罪と罰を描く。排外主義の広がった世界を描いているから、ダークなトーンで悲しみのようなものが通底している。権力者によって民衆に植えつけられた偏見や差別が排斥へと向かう様は生々しく、幻想的で華やかなビジュアルながらあまりに現実世界を彷彿とさせ、決して他人事にはなりえない。
愛されるために自分にも周りにも嘘をついて、結果欲しいもの“のようなもの”を手に入れてきたグリンダ。何が行われているかを知った上で体制を利用するようなつもりで迎合し、美味しいところを享受した果てに、グリンダは何を失ったのか。つくづく容赦のない描かれ方に、私は「動いている列車の上では中立でいることはできない」という言葉を思い出していた。見ないふりをすることは想像以上に強い立場選択となる。


