『百年の挽歌 原発、戦争、美しい村』(青木理 著)

 東日本大震災による東京電力福島第一原発事故の発生から4日後のことだ。原発から40キロ近く離れていたにもかかわらず、かつて「日本で最も美しい村」のひとつとされた福島県飯舘村は、大量の放射性物質を含んだ「冷たい雨」によって汚染された。

 それから約1か月後の2011年4月12日、この村で、1人の古老が自死した。大久保文雄、102歳。百寿を越えてもかくしゃくとし、家族と穏やかに暮らしていた文雄はなぜ、自ら命を絶ったのか――。

 理由は明白だ。この村に生まれ、幼少期からひたすら土を耕し、作物を育て、終生、村から離れようとしなかった文雄が、原発事故によって愛する故郷を汚され、その豊かさを奪われたことに絶望し、果ては「全村避難」によって、この地を追われることを拒絶したからにほかならない。

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 文雄の自死を知ったことを機に、この村に通い始め、生前の彼の姿や思いを遺族や村人から聞きとり続けていた著者の青木理にとっても、その理由は疑いようのないものだった。

 しかし青木は、文雄の自死には〈ほかにもっと深く根源的な絶望と意味が〉込められていたのではないかと、彼の出生にまでさかのぼり、100年余に及んだ文雄の人生をたどり始めるのだ。

 そこから浮かび上がってきたのは、ふたつの事実だった。ひとつは、終戦間際の1944年、文雄と15歳離れた弟の久が、20歳で徴兵され、そのわずか1年後には硫黄島に、本土防衛の“捨て石”として送り込まれ、「戦死」していたという事実。

 ふたつめは、幸いにも徴兵を免れた兄の文雄が、その弟の死を生涯、気に病んでいたという事実だ。

 つまり、ふたりの兄弟はともに、戦争と原発という、ふたつの「国策」によって殺されたわけである。

 そして、10年近くに及んだ取材で、これらの事実にたどりついた青木は改めて、文雄が自死に込めた思いを、こう汲みとるのだ。

〈ならば文雄の自死は、故郷を追われることへの深刻な悲嘆や絶望のみにとどまらず、重大な国策の誤ちによって運命を翻弄された兄弟の、そのふたり分の怒りを満身に込めた抗議の行動だったと受けとめるべきではないか〉

 原発事故によって破壊された飯舘村と文雄の家族の物語は、震災から15年が経ち、私をはじめとする被災地外の人たちの中で、その記憶が確実に風化しつつある今、原発事故という「人災」の理不尽さを、これでもかといわんばかりに思い起こさせてくれる。

 また本書の中で青木は、震災前の「美しい村」の姿に随所で触れているのだが、それを読むごとに、あの事故で喪ったものの、はかり知れない大きさに愕然とし、文雄をはじめとする村人たちの筆舌に尽くし難い無念さに、胸が締めつけられるのだ。(文中敬称略)

あおきおさむ/1966年生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクションライター。事件や事故、災害、刑事司法、朝鮮半島、メディアなど多岐にわたるテーマの取材・執筆を行う。主な著書に『安倍三代』、『日本会議の正体』など。

にしおかけんすけ/1967年、大阪生まれ。著書に『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』など。