1968年、静岡県の温泉旅館に銃とダイナマイトを持ち込み、人質を取って籠城した在日朝鮮人の男がいた。
「私は子供のときから、朝鮮人だ、朝鮮人だ、といって日本の人たちからずいぶん惨めな思いをさせられ」
金嬉老氏が訴えた言葉は、テレビや新聞を通じて全国に届き、後に“日本初の劇場型犯罪”と呼ばれることになる。英雄視された男は、なぜ最後まで事件を繰り返したのか。
ヤクザ2人を射殺、旅館に立てこもり⋯
最初の事件の発端は金銭トラブルだった。地元暴力団の幹部に不当に35万円を要求され続けた金嬉老は、1968年2月20日、相手を射殺。さらに止めようとした子分にも発砲し、2人を殺害した。その後、静岡県の寸又峡温泉にあった「ふじみや旅館」に押し入り、88時間に及ぶ籠城を開始する。
籠城中、金はマスコミを巧みに利用した。静岡新聞やNHKの記者と会見し、警察官による朝鮮人差別発言の謝罪を要求。各テレビ局のワイドショーからの電話に応じて訴えを生放送させるなど、世論を動かすことに成功した。視聴者からは「ともに闘おう」「金さん、もっと頑張って」という声も上がったという。
刑務所では特別待遇
逮捕後の実態も衝撃的だった。勾留先の静岡刑務所で、金が特別待遇を受けていることが発覚したのだ。独房には脱獄にも使える出刃包丁やヤスリ、カメラ3台、テープレコーダーまであった。自殺を示唆して看守を脅し、差し入れた看守の1人は殺虫剤を飲んで自殺している。
無期懲役が確定した金は24年間を刑務所で過ごし、1999年に仮釈放されて韓国へ送還された。二度と日本の土を踏まないことが条件だった。
「民族差別と戦った英雄」はその後⋯
韓国社会は金を「民族問題・差別問題と戦った英雄」として迎え入れた。しかし本人は韓国語を一切話せず、中身は「完全な日本人」。世間とのコミュニケーションに苦しみ続ける。
さらに翌2000年4月、獄中結婚した妻が現金や預金通帳など約6千万ウォン相当を持ち逃げし姿を消した。妻はのちの取り調べで「夫の暴言・暴力に耐えきれなかった」と供述している。
その後、金は1999年末の講演会で知り合った既婚女性と不倫関係に陥り、「夫に殺されそうだ」という彼女の訴えを受けて相手の夫を竹やりで脅し監禁、アパート室内に放火するという事件を起こした。
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