『絢爛の法』(川越宗一 著)

 稀にではあるが、読んでいるうちに襟を正したくなる小説がある。大日本帝国憲法の起草者のひとりである井上毅(こわし)の生涯を描いた、川越宗一の歴史小説も、そのような作品だ。

 明治6年、日本に帰ってきた司法省の欧州派遣団の中に井上毅もいた。かつて司法卿の江藤新平に目をかけられた毅。だが江藤は叛乱を起こし処刑され、生首を晒された。その裁判が不適切だと思っている毅は、視察にきた内務卿の大久保利通を面罵。だがこれが縁になったのか、台湾出兵に関する清国との交渉団の一員に選ばれる。そこで彼は大いに鍛えられることになるのだった。

 という最初の山場が終わると、物語は過去に戻り、少年時代からの毅の人生を綴っていく。歴史小説としては、極めてオーソドックスな構成といっていいだろう。家格は低く、暮らしは貧しい。思ったことをすぐ口にする直言居士であり、生返事という悪癖も持っている。そんな毅にとって、打算込みで熱中できるのは学問しかなかった。だから彼は肺を病むほど一心不乱に学んだのである。

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 とはいえ司法省の官吏になった毅には、さほど出世欲がない。一番に考えていることは「美しき法を造らねばならぬ」ということだ。西南戦争や大久保利通の暗殺、明治14年の政変など、揺れ動く時代の渦中で、政府の高官たちに能力を認められていった毅は、やがて伊藤博文の下で憲法草案の起草に取りかかるのだった。

 作者の筆致は実直であり、堅実に毅の人生を追っていく。これが抜群に面白い。いうまでもなく憲法とは、国家を支える重要な柱である。それを充分に分かった上で毅は、困難な仕事に挑む。毅は癖が強いが、彼の周囲の人々も同様だ。しかし、大久保利通や伊藤博文を始め、誰もが信念を持って、国のために働いている。ああ、近代日本とは、このような人々によって形成されていったのかと、何度も深い感慨を覚えた。

 一方、毅の家庭も、なかなか癖が強い。えっ、そんな生活になるのかと、ちょっと驚いた。

 さて、憲法の草案が出来ても、物語は終わらない。枢密院審議で揉めに揉める。また、大日本帝国憲法が発布され、立憲政治が始まると、さまざまな問題や苦労が発生する。そこも含めて毅が実現しようとした、憲法の理想と理念が浮かび上がってくるのだ。

 なお本書には序章と終章がある。このパートの視点人物は、大久保利通の次男で、吉田茂の義父である牧野伸顕だ。そして時間軸は、新憲法が施行される、昭和22年5月。かつて身近な場所から、毅たちの奮闘を見ていた牧野は、過去を回想する。この序章と終章があるからこそ、物語のラストに強く胸を打たれる。時代が変わり、憲法も変わる。しかし受け継がれるべき理想と理念があるのではないか。そんな想いが伝わってくるのだ。

かわごえそういち/1978年生まれ。2018年『天地に燦たり』で松本清張賞を受賞しデビュー。20年『熱源』で直木賞、23年『パシヨン』で中央公論文芸賞を受賞。他の著書に『海神の子』『見果てぬ王道』『福音列車』『大日の使徒』。

ほそやまさみつ/1963年埼玉県生まれ。文芸評論家、アンソロジスト。書店員を経て、エンタテインメント作品の書評や解説を執筆。

絢爛の法

川越 宗一

新潮社

2026年1月29日 発売