見ているほうが心配になってくるロボットを作り続けている豊橋技術科学大学・岡田研究室(ICD-LAB)。そんな「弱いロボット」を提唱する岡田美智男教授に「弱さの力」について伺いました。社会からコミュニケーションの姿まで、どうして「弱さ」が必要なんですか?(全2回の2回目/#1より続く)
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日大アメフト部問題は「弱さを見せられない」という問題
――ロボットを通してコミュニケーションのあり方を研究している岡田さんにお伺いしてみたかったのですが、体育会系のコミュニケーションについてどう思われていますか? たとえば日大アメフト部の問題は、コーチと選手の間のコミュニケーション不全の側面もあったと思うんですが。
岡田 難しい問題ですね……。コーチの指示と選手の行動とに食い違いがあって起きたあの不幸な事例は、まさにコミュニケーション不全に起因すると思います。その「体育会系的なコミュニケーション」の構造は単純に言うと命令する・されるですよね。この「命令」って当然ながらメッセージが一番伝わりやすい言葉で、いわば自己完結している。
――自己完結しているというのは?
岡田 相手に解釈の余地を与えないということですね。「相手のクオーターバックをつぶしてこい」という命令に対して、選手が取れる選択肢はイエスかノーかだけ。状況から考えると、選手には2択どころか「イエス」の選択肢しかなかったとも思えます。これは強くてきついコミュニケーション構造ですよね。
――命令は全て自己完結したコミュニケーションになるんですか。
岡田 優しく「コピーをお願いします」と言っても、意味上は命令になりますし、逆に軍隊の上官が部下に対して「〇〇しろ!」っていう命令形できつい指示を出すのも解釈の余地がない。ソ連の文芸評論家・バフチンが「権威的な言葉」って呼んだんですけど、まさにそうですよね。「え?」「どうしてですか?」みたいな解釈への余地が挟めない。言い換えると、相手に聞き返すといった「委ねる」余地がないから「弱さ」を見せられないんですね、こっち側は。
「自己完結」は誤解の悲劇を生む
――その最たるものが、ガチガチの体育会の指示系統。
岡田 その側面はあるんでしょうね。きついタテ社会の構造だから、コーチと選手には厳然たる立場の違いがあります。そうなると、一緒に意味を調整していくような余地がないわけです。命令を受けた側は自己解釈で指示を遂行する。そして後から「そういう意味で言ったわけじゃない」とコーチが言ったように、大きな齟齬が生まれてしまう。当然ですが、誤解というものは話し合うことで解決していくわけですが、体育会系コミュニケーションは得てして自己完結に陥りやすく、こうした誤解の悲劇を生むものだと思います。