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さよなら体育会系コミュニケーション? “不完全ロボット”が教えてくれる「弱さの力」

「弱いロボット」研究者・岡田美智男教授インタビュー #2

note

システムは本来的に弱さを備えている

――この研究を通して考える、これからの社会デザインのあり方は、どういうものが良いと思われていますか?

岡田 まず人と機械の関係でいうと、便利さが人の傲慢さを引き出してしまうような社会にしてはいけないと思っています。便利な機械というのは賢くて効率的で完璧に仕事をこなしてくれる。このとき、人と機械の間には「やってくれる・してもらう」という役割が綺麗にできてしまっている。すると、してもらう側はやってくれる側への要求水準を得てしてあげてしまうものなんですよ。もっと早く、もっと静かに、もっともっとって。それに合わせてスマホでも、家電でも、どんどん機能を更新して進化しているでしょう。お互いそれをやり続けていると、システムは本来的に弱さを備えているということを忘れてしまうんです。

研究室の学生たちと

――「弱さ」を忘れてしまうと。

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岡田 すると何かの拍子にシステムダウンした際、人間は不便という事態に対応できなくなってしまいます。そしてそれは、機械と人の関係だけではなくて、人と人の関係だって同じです。僕の実感としては25年くらい前からだと思いますが、日本企業が成果主義を取り入れて、個人の能力を重視する風潮が広まりました。その効率主義、能力主義は「完璧であること」「過不足ないこと」を評価軸にしてきましたが、ものづくりに元気がなくなってきたのはこの頃からですよ。

 ものづくりって職人同士、働いている人同士が「どうするどうする」って話し合いながら、お互いの得手不得手を補い合って伸びてきた分野だと思うんですが、そういう不得手を開示する「弱さ」を悪しきものにしてしまって、経済は効率と能力を強がる方向に傾いてしまった。しかし人間も社会も単独では強がっていられない、何かに委ねていないと立っていられない弱いものなんですよ。だから、お互いが関与しにくいバリアがあると、不寛容社会が生まれてしまうんじゃないでしょうか。

3Dプリンターも、ラボには備わっている

強がっていては、人間に寛容は生まれない

――寛容な社会をデザインする一つのキーワードに「弱さ」がありそうですね。

岡田 そう思います。完璧な防潮堤などありません。その防潮堤の弱さを適度に開示して住民に把握させるほうが、万が一の時への備えや工夫、学びを引き出すことになると思います。あらゆるデータや技術を総合したって、完全なバス運行システムなんて作れないんです。正確な運行ができますなんて、強がってはいけない。強がっている以上、バス停で待っている人は運行に完璧を求めますから、ちょっとでも遅れるとイライラが始まる。そうじゃなくて「すいません、今日は渋滞で遅れます」って最初から言えるくらいの弱さをあらかじめ含めて設計しないと、人間に寛容は生まれないですよ。そして、よりよい社会は生まれない。

 

――社会に弱さを取り込んだデザインって、逆転の発想のような気さえします。

岡田 この長い間、社会も人も強がり過ぎていたという気がするんですよね。会社でも学校でも家庭でも何でも、弱さを見せられない社会が続いたというか。北海道の浦河町にある精神障害者の福祉施設「べてるの家」の向谷地生良(むかいやち・いくよし)さんたちが「弱さの情報公開」って仰っているんです。弱さは恥じることなく人に見せていいんだよ、それが生きることにつながるんだよって。そういう方向性が社会にも芽生え始めているような気はします。

――はじめに体育会系コミュニケーションのお話を伺いしましたが、ちょっとずつ社会が鎧を脱ぎ始めているんでしょうかね。

岡田 そうなんですかね。「弱いロボット」を手掛かりにして、考えることはまだまだありそうです。

「muu」と

写真=佐藤亘/文藝春秋 

おかだ・みちお/豊橋技術科学大学 情報・知能工学系教授。1960年、福島県生まれ。87年、東北大学大学院工学研究科博士後期課程修了。NTT基礎研究所、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)などを経て、現職。著書に『弱いロボット』『〈弱いロボット〉の思考』など。

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