小池 『日暮れのあと』が単行本で刊行された2023年より前に、『神よ憐れみたまえ』という、10年越しで書いてきた書き下ろしの大長編小説をやっと完成させました。『神よ憐れみたまえ』もまた、怒濤の日々の中で書いた部分が多く、これもまたすごく思い出深い作品。この『日暮れのあと』は、一冊の短編集にまとまることすら想像つかなかったくらいの時期を中心に書いたことになるわけですが、時が流れて、こうやって一冊に結実させてみると、『神よ憐れみたまえ』に続く、私の人生の一部の7年間がここに凝縮されている本になったな、と改めて思います。
――お書きになった小説は、著者である小池さんの人生をそのまま凝縮して投影した部分もあるという意味ですね?
小池 そういうことになりますね。書店さんへのポップにもこう書きました。
「七つの物語、七人の主人公、
それぞれに作者の分身が隠れているようです。
小池真理子」
「隠れている」じゃなくて「隠れているようです」っていうのがミソでして(笑)。
通して読み返してみると、あ、やっぱり自分自身が深く投影されているなって分かるんです。本になる前の校正刷りのゲラでもそう感じてました。別に意図していなかったのですが、不思議なものです。
――単行本が刊行されてから3年の月日が流れたわけですが、今と3年前ではこの本についての感じ方に違いがありましたか?
小池 自分で言うのもおこがましいんですけれども、私自身が成熟したからなのでしょうか、自分の作品を客観的に読み返す、その読み方がさらに成熟したなっていう感じがしています……ふふふ(笑)。
――(笑)たとえば、どういうところでしょうか?
小池 あのね、短編が7本も集まると、どうもこの1本は失敗作だなって、自分としてはあんまり好きじゃないなというのが1本か2本は必ずあるはずなんですね。ところが、この本にはそれが本当に1本もない。
――一篇一篇の物語がそれぞれに個性的で際立っていて、本当に面白いですものね。そして全編通して言えるのが、死の匂い、はかないものに対する不条理な想いが横溢している感じがします。
小池 それこそが、成熟していく人間の人生の過程にある、一部分なんだろうと思います。それを7篇に共通させることに成功したみたいですね。普通、短編小説集というのは、言い方は適切ではないかもしれないけど、いろいろな媒体で書いた作品を集めただけの、いわば「寄せ集め」みたいなものになりがち。共通したテーマがあって、それが太い芯のようになって全編を貫いている、という短編集はめったにない。それでいいんだと思います。一人の作家が別々の時期に書いた作品を集めたものである以上、すべてに共通する何かがなくて当然ですから。でも『日暮れのあと』は少し違う感じがする短編集になりました。最初から意図的に作り上げたひとつのテーマに沿って書いたものではないのに、つまり、偶然、その時期に書いたに過ぎないのに、一冊にまとめてみると、全部がつながっている。すごく抽象的な大きな宇宙感覚の中にうまくはまりこんでくれている。奇跡みたいだったな、と実はひそかに自画自賛しています。
そして、作家として進歩したのか、ただ退行しただけなのかはわかりませんが、自分自身の表現の仕方が昔に比べて、凄味、というのかな。そういうものを計算抜きで、単純に表現できるようになった感じがします。私はあまり、凄味のある文章、作品を書けない作家だと自分で思っていたのだけど、やっとここにきて、その味を少し引き出せるようになったかな、と。
――この7篇はすべて素晴らしいのでそれぞれ甲乙つけがたいのですが、読者に特に読んでほしい一篇はありますか?
小池 「オール讀物」2023年7月号で桐野夏生さんと対談したとき、桐野さんは「夜の庭」が一番好きだと。今回、文庫の解説を書いてくださった小川洋子さんも私に〈「夜の庭」が好き〉、と伝えてくれまして。そして、実は、作者である私が好きな一篇も「夜の庭」なんです(笑)。
――「夜の庭」、大人気ですね!
小池 でも、読者には「白い月」と表題作「日暮れのあと」が、ダントツ人気のようですね。「夜の庭」と挙げている人がいない。そんな傾向が面白いですね。やっぱり実作者ならではの、いわゆる「通」じゃないと分からないような部分が書けていたのかもしれないな、っていうのは自画自賛ですけれど。「夜の庭」は、こっそりでいいので、熟読していただきたいです。
(2回目に続く)

