つまり、法律論とは別に国民からどう見られるかという「見られ方」の問題でもあると認めたのだ。新聞各紙でも専門家が「あたかも自衛隊が特定の政党のために職務を行っているかのように国民が見る恐れがある」など、「見られ方」への指摘は多い。
高市首相の発言に自民党内で戸惑いが広がっている
だがここまで報道を追うと気づくことがある。今回の件は自民党側からは「国民にどう見られるか」より「国民にどう見せたいか」が大きかったのではないか?という点だ。
あの日の党大会では何があったのか。読売新聞は『自民党大会 首相、改憲に強い意欲 次大会までに発議メド』と伝えた。つまり自衛隊員に国歌を歌わせたことは、改憲機運を盛り上げるための必然的な演出だったとも思えてくる。
一方で自民党内の温度差を伝えたのはこの記事だ。
『改憲踏み込み、戸惑う自民 独断即決「高市流」に不満 旧派閥、再結集の動きも』(朝日新聞)
高市首相の発言に自民党内で戸惑いが広がっているという。党幹部は「事前に聞いていなかった」と。「独断即決の高市流」への不信感が強まっており、「意に背けばクビが飛ぶ」との恐怖心を漏らす議員もいるという記事だ。
これを読むと、なぜ特定政党との距離の近さが問題になるかもしれないと、誰も事前に気付いていなかったのか?という素朴な疑問の見え方が違ってくるのだ。衆院選で自民党を大勝させ、強力な改憲派の高市首相がいよいよ張り切りそうなら、あの演出を事前に知りえた人々も、「論議になりそうだ」とは思っていても止めなかったのかもしれない。むしろ論議になる危険性も予感しながら黙認したのではないか。
しかしである。そうした空気の中、小泉防衛相がわざわざ自衛隊員と記念撮影をしてSNSにも投稿するという、度が過ぎる行為までは予測できなかったのだろう。もはや小泉防衛相そのものが危機管理の対象になりかねないレベルなのかも。
それにしても「会場に着くまで知らなかった。法律的に問題はない」というコメントは、本当に、高市首相らしさに包まれたコメントだったのではないだろうか。
