愛嬌と豊満な肉体で男を手玉に取り、欲望のおもむくまま夫と旅館経営者夫婦を次々と葬った女がいる。小林カウ——戦後初めて死刑が執行された女性である。

 1908年、埼玉県の貧しい農家に生まれたカウは、16歳で東京の旅館に女中奉公に出るほど都会への憧れが強かった。22歳で見合い結婚するも、夫・秀之助への不満は尽きなかった。虚弱体質で男ぶりも悪い夫は、性欲旺盛なカウを満足させられず、彼女はやがて多くの愛人をつくるようになる。

夫に離婚を迫り、青酸カリを飲ませた夜

 1951年、43歳のカウの前に25歳の美男巡査・中村又一郎が現れる。闇物資の取り締まり対策として親しくなったのが始まりだったが、やがて2人は男女の関係となり、「人生初の恋」に落ちたカウは夫に離婚を迫る。

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 しかし秀之助は頑なに拒否。行き詰まったカウは1952年10月2日、中村からもらった青酸カリを風邪薬と偽って夫に飲ませ殺害した。かかりつけ医に「脳溢血」の診断書を書かせ、その死を闇に葬ったのだ。

写真はイメージ ©getty

 夫の初七日も過ぎぬうちに中村と同棲を始めたカウだったが、中村は彼女を「性の捌け口と金づる」としか見ておらず、2年足らずで破局。それでも懲りないカウは1956年春、栃木・塩原温泉で物産店を開き、持ち前の商才で資産を築き上げる。

 そして1958年、カウは旅館「日本閣」の経営者・生方鎌輔と関係を持ち、共同経営の約束を交わす。だが鎌輔の口から飛び出したのは想像を絶する提案だった——「いっそのことウメ(妻)を殺してしまうか」。カウに異論はなかった。

 雑役夫・大貫光吉に「上手くいったら抱かしてやる」と色仕掛けで殺害を依頼し、1960年2月、妻ウメが絞殺される。さらに年末には裏切った鎌輔まで大貫とともに葬り、カウはついに日本閣を手中に収めた。

 しかし、経営者夫婦が相次いで姿を消したことで疑惑は高まり、1961年2月に逮捕。取り調べの中でカウは、大貫も殺害する予定だったと淡々と語ったという。

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 悪女は東京拘置所に収監された後も看守に色目を使い続け⋯⋯事件の詳細は以下のリンクからお読みいただけます。

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