4月17日、澄み切った青空の下、天皇皇后両陛下主催の春の園遊会が赤坂御苑で行われた。

 園遊会は春と秋の年2回開催され、女性皇族の服装は和装か洋装で統一されることになっているが今回は洋装で、会場の小高い丘に上に立ち並ばれた女性皇族方の装いは華やかだった。

 皇后雅子さまや愛子さま、佳子さまの装いが注目を集める中、この園遊会で大きな話題になったのは、三笠宮家当主の彬子さまと瑶子さまだった。臨床心理士としてそのファッションを分析する。

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三笠宮家の瑶子さま、信子さま、彬子さま

 三笠宮家は長年にわたり、2012年に亡くなられた寬仁親王の妃であり、麻生太郎元総理の妹でもある信子さまと長女の彬子さまの長年にわたる確執など、家族内の不和が取り沙汰されてきた。

 事の発端は信子さまが病気療養のために寬仁親王家を出たことによる。その理由は寬仁親王のアルコール依存症や家庭内暴力と言われており、それ以降、信子さまが戻られることはなかった。

信子さま ©文藝春秋

 2012年に寬仁親王が逝去されたときも、葬儀の喪主を務めたのは信子さまではなく長女の彬子さま。信子さまは葬儀に参列すらしていない。

 様々に報じられた記事によると、危篤になった寬仁親王のお見舞いに信子さまが訪れた時も、父を慕っていた彬子さまと瑶子さまがそれを拒否。弔問に訪れた信子さまを父に会わせることなく、玄関払いにしたという。

寬仁さま ©文藝春秋

 2015年には彬子さまが雑誌(「文藝春秋」2015年7月号)の手記で、母・信子さまとの確執を公言したこともある。

母の信子さまと娘の彬子さま・瑶子さまが対立

 当主がいなくなった寬仁親王家で次に起きたのが、信子さまと娘たちの争いだった。家を出て生活していた信子さまが後継の座に就くことに彬子さまと瑶子さまが反対し、家族間の話し合いがまとまらず1年後に寬仁親王家は三笠宮本家に合流。

 しかし三笠宮家の当主で寬仁親王の父親である崇仁親王が2016年に亡くなられると、93歳の百合子さまが跡を継がれたが、その8年後の2024年11月に101歳で逝去。百合子さまの葬儀の喪主を務めたのは孫にあたる彬子さまで、義理の娘にあたる信子さまはこの時も葬儀に参列されていない。

彬子さま ©時事通信社

 今度は三笠宮本家で後継当主問題が起き、1年をめどに家族間で話し合うこととされたが、冷え切った母娘関係が改善されることはなかった。

 2025年9月、その確執は三笠宮家の当主に彬子さまがつかれ、信子さまは新たな宮家「三笠宮寬仁親王妃家」を創設する“宮家分裂”という形で物議を醸すこととなった。