「悔しいし、情けない」
藤嶋健人は去年の今頃をそう振り返る。試合出場メンバーから外れ、遠征にも帯同しない。戦力ではなかった。
「午前はアップしてキャッチボール。ブルペン後、ノックとランニング。午後は個別練習とウエイトトレーニング。キャンプのような生活を6月から送っていました」
2016年、藤嶋は東邦高校からドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。高校通算49本塁打の実績から、野手転向もささやかれた。
「10球団から調査書が届きましたが、中日以外は野手の評価でした。僕は小学2年で野球を始めてから投手でしたし、内心は投手を続けたかったので、中日で本当に良かったです」
しかし、一抹の不安はあった。
「甲子園の後、日本代表チームで藤平(尚真・楽天)や堀(瑞輝・日本ハム)、寺島(成輝・ヤクルト)と一緒になって、ちょっと違うなと」
ちょっとの違いは2月の読谷(2軍)キャンプで格段の違いに変わる。
「みんな球は速いし、コントロールは良い。僕が中日投手陣で最下位だと思いました」
「プロでピッチャーは無理だ」
2017年4月23日。ウエスタンリーグ広島・中日8回戦。藤嶋の3試合目の登板。いつもの由宇球場ではなく、広島県廿日市市の佐伯球場だった。両翼が92mと狭い。
「初先発でしたが、ストライクが入らない。空振りが取れない。打つ手がありませんでした」
結果は1回2/3を4失点KO。
「育成だった(サビエル)バティスタに左中間へホームランを打たれたんです。場外の山にボールが消えて行きました」
苦い記憶はスローモーションになる。白球を追いながら、痛感した。
「プロでピッチャーは無理だ」
1年目は2軍で5試合0勝1敗。6月にはメンバー外。このままでは終わる。藤嶋はもがいた。
「夏に体を大きくするべきだと思って、食べまくったんです。5キロ増やしましたが、ただ太っただけで球速は変わりませんでした」
バットにも手を出した。
「夜に誰もいない室内練習場に行きました。もう投手は無理。野手だと」
マシンが動く。
「忘れもしません。1球目です。先っぽに当たって死ぬほど手がしびれたんです。その後、何度も打撃練習をしましたが、木製では全く」
現状打破を試みたが、八方ふさがり。しかし、転機が訪れた。それは秋季キャンプ第1クールだった。
「ブルペンで近藤(真市)コーチからアドバイスをもらったんです。右足は勝手に回るから、最初から回そうとしない方が良いと」
その頃、藤嶋はストレートの投げ方を見失っていた。球速を求めて体の回転を最優先。体重移動が不十分な状態で軸足を回すため、球に力が伝わらない上、カット気味に曲がっていた。
「右足を我慢しました。すると、やっと真っ直ぐを真っ直ぐ投げられたんです!」