“読書芸人”として知られるオードリー若林さんの新刊『ナナメの夕暮れ』が出版された。2015年から月に1度、連載として書いてきたエッセイに加えて、ここ数ヶ月に集中して書き下ろしたエッセイをまとめたものだ。

「もう40歳になるから色々諦めることも多い」と語る若林さん。『ナナメの夕暮れ』にはそんな若林さんが“青年からおじさんになる”日常がギュッと詰まっている。エッセイにも描かれてきたアラフォーの哲学を聞いた。

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「趣味なんていらない」から「趣味がないと生きていけない」へ

――エッセイ集『ナナメの夕暮れ』が発売になりました。3年間書きためてきたエッセイが本になってどうですか?

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若林 申し訳ないなという気持ちがあって。本屋に行くのがすごく好きなんですけど、平積みされている本は、嫌みじゃなくて、明日から勝ち組になれそうな「あなたも何億稼げる」とかビジネスで成功しそうなタイトルが並んでいる。ここ5年くらい自己啓発の本が売れていると思うんです。

 だから僕の本を読んで誰が得するんだろうなというのは思いますね。ちょっと斜めから、ネガティブなことをただネガティブに書いているだけなので。どのぐらいの人が共感してくれるのかなという。毎回本を出すのは恐る恐るなんですよね。

――前作『社会人大学人見知り学部 卒業見込』から数えると8年間エッセイを書いてきました。

若林 ほんとですよね。けっこう恥ずかしいのが、8年前のエッセイ1回目に「趣味なんていらない」ということを書いているんですよ。仕事があればと。でも8年間の終わりには「趣味がないと生きていけない」って書いてある。言っていることが全然違うじゃないかという。

40歳が近づき“斜め目線”が通用しなくなってきた

――『ナナメの夕暮れ』はどんな意味なんでしょう?

若林 僕もアラフォー、39歳でこの9月で40歳になるので、いろいろ諦めることが多いんですよね。30歳ぐらいからテレビの仕事をいただくようになって、テレビの世界でも芸人の世界でもとんでもない天才にいろいろ会いますから。それで「諦める」とか「諦念」という文字をタイトルに使いたいなとずっと思っていて、「諦念大学院」「諦念コーポレーション」とか、アイデアを出していたんです。それこそ前の本が「社会人大学」だったので「株式会社諦念」かなとか。

――別のタイトル案があったんですね。

若林 そしたら南海キャンディーズの山里亮太が『天才はあきらめた』という本を先に出して。クソと思ったというか、「山ちゃん、かぶってんな」と。俺が意識しすぎなんですけど、編集さんもけっこう待たせてしまって。ちょっと自分で言うのも鼻につく言い方になるんですけど、このタイトルは眠る直前に降りてきましたね(笑)。

――それが『ナナメの夕暮れ』。

若林 僕はずっと“斜め目線”なんですね、10代、20代のときからバーベキュー、ハロウィン、ナイトプールとかを斜めから見てきたんですけど、おじさんになると斜め目線が通用しなくなってくる。なので「斜めが終わっていくな」なんて思いながら寝ようと思ったら、ああ「ナナメの夕暮れ」ぐらいでいいのかなと。肉体的にもちょっと若いときとは変わってきて、自分に夕方を感じているというか。それを恐る恐る編集さんに送ったら、いいですねということで。