〈先生のお世話をすることで、金銭的にではなく、名誉やステイタスにつながるという気持ちはありました〉(「週刊文春」06年6月22日号)
「ようするに時給400万」
安岡との交流を経て、細木は占い師として莫大な富を掴んでいく。毎年のように刊行される自著「六星占術」シリーズは累計で約1億部に達し、「世界一売れた占い本」としてギネス記録に認定。04年からはテレビの冠番組が始まり、黄金期に突入すると、細木は当時のギャラ事情をこう豪語した。
〈私は「吉永小百合」より高いんだから。(略)ようするに時給400万〉(「新潮45」05年4月号)
マネジャーを務めた元側近の萩原徳和が証言する。
「レギュラーだけでなく、定期的に特番もありました。『六星占術』シリーズの印税に加え、勉強会や個人鑑定、講演も予約が殺到。月額300円の携帯電話の六星占術サイトは会員が100万人を超えました」
その頃の年収は18億円に達したという。都内に個人会社名義などで複数の不動産を所有。京都には土地代込みで30億円とも喧伝された豪邸があった。
ドラマではホストクラブでの豪遊も描かれたが、
「大半は『六星占術』を出した出版社の接待で、自腹を切ったのは数えるほど。本人は『これまでさんざん飲んできたから』と言ってほとんど酒を飲まず、周りに勧めていた」(同前)
ドラマの最終盤では週刊誌の取材に焦慮する様子も描かれ、細木が表舞台から姿を消す直前で物語は終幕する。現実には、06年に溝口の連載が始まると、6億円余の損害賠償を求めて版元の講談社を提訴した。
細木の“天敵”となった溝口が振り返る。
「私も裁判に補助参加しました。細木がレギュラー番組を全て降板してテレビから消えた08年に和解となったが、事実上は細木側の訴訟取り下げで、我々の勝ちに等しい結果でした」
