「救済の選別」の正当化

 アミールがクラウドファンディングによって救われたこの結末は、一見すると確かに「人間性の勝利」に見えるものの、その美談の裏側で静かに進むのは、「生存権の民営化」という冷酷なシステムだ。

 本来なら国が保証するはずの「住居」や、日本の憲法25条にあたる、最低限の「健康で文化的な生活」は、今やテレビ視聴者やネットユーザーの同情心や、人気投票のようなクラウドファンディングの仕組みに委ねられてしまっている。

 そこでは、アミールのように、たまたま運良くテレビに取り上げられたものだけが生き残るという「救済の選別」が正当化されてしまう。

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 不特定多数の他者による寄付で凌ぐことができたアミールは、その後のインタビューで、感謝の言葉の後にこう訴えた。

「僕は運が良かったけれど、見えないところで僕のように苦しんでいる人が山ほどいることの方に、注意を向けてほしい」

 個人の善意による一時的解決は、機能不全を起こしている安楽死制度の構造的欠陥を覆い隠し、社会が向き合うべき問題を「心温まるエピソード」で上書きしてしまう。

 アミールの言葉は、メディアの光が当たらず、世論の注意を引けない環境にいる人々が、誰にも知られないまま「安楽死」という名のシステムの出口へと、静かに押し流されてゆくことに抗う、当事者としての叫びだった。

生きる権利を奪われ、死ぬ権利を与えられる

 ハクスリーが描いた『すばらしい新世界』の中で、社会の歯車として機能しなくなった個体が、効率的に「処理」されたように、先細りする福祉制度の隙間で苦しむ者たちの救済も、私たちがその本質を見誤れば、注目という名の「選別」を通過した者だけに与えられる、期限つきの処方箋になってしまうのだ。

『すばらしい新世界』(ハックスリー著、講談社)

 ハクスリーの『すばらしい新世界』に登場する「野蛮人」ジョンは、システムの管理下にある「幸福」を拒絶し、あえて苦しみや不幸を選ぶことで、人間としての尊厳を守ろうとする。

「僕は不都合が好きなんだ」

「僕は不幸になる権利を要求しているんです」

 だがアミールは、ジョンのようにシステムに反抗したのではない。

 システムが用意した「唯一の逃げ道」に、感謝せざるを得ない状況に追い込まれていたのだ。

「生きる権利」を奪われて、「死ぬ権利」を与えられる。

 これは慈悲でもなんでもない、国による、「生存権の民営化」に他ならない。

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