私の家の台所には、一辺40センチほどのサイコロ型の食器洗い乾燥機がある。広い家電量販店の売り場に置かれていれば小さな方かもしれないけれど、うちの狭いシステムキッチンにあってはおおいに場所をとり、異様な存在感を放つ。どんと置かれたおかげで、もともと料理に使っていたスペースはふさがれてしまった。かつて手洗いした食器をのせる水切りかごがあったスペースで、体を斜めにして野菜を切る日々だ。
巨大さに不満を感じているかといえば、そんなことはまったくない。今やその存在抜きにはうちの台所は立ち行かないほど助けられている。
むしろ恨みがましいのは、購入が遅きに失したことの方だ。ふたりいる子どもの育児で大変なうちに購入が思いきれず、やっと買ったのはふたりが小学校に上がってからだった。
本作を読みながら、そんなことを思い出してついまた、かあっと悔しさを再燃させてしまった。
「台所」をテーマに、6人の女性を描いた連作短編集である。
登場人物それぞれの現在とこれまでが、台所という場所そのものと、そこから生み出される食事の両方を通じて、精細にまなざされる。
こんなにも、誰かの人生の事情を、台所のありさまと同時に受け取ったことはない。それが6人分、次々と現れてはあざやかに、かつ固有に、すぐそこにいる誰かのような身近さでもって、深い感慨を残していくのだ。
6人はみんな、深夜ドラマ『台所のあるところ』を観ている。小説の各話の進行とともに、ドラマもまた、ドラマらしく劇的に展開していくのが面白い。登場人物が番組名に#を付けてSNSで感想を検索することで、さまざまな台所が世界に併存することを切実に印象付けた。
それは、今こうしている間にも、この世界のどこかで、子らにせかされながら中華鍋で揚げ物を急ぐ誰かがいるということだ。家族のいなくなったひとりの家で、壊れた冷蔵庫からいつ冷凍したのかわからないハンバーグを発見している誰かもいる。
自分以外の生き物に向けて食事を作ることは、炊事と呼ぶ以前に社会活動だ。自分ひとりが食べるものを用意するのとは、まったく違う種類の行動だ。
相手の必要とする栄養、体調、食材の味の雰囲気の好みに、金銭や時間の事情が絡み合う。どうしても多角的に他者と向き合うことになり、そこにはいかんともしがたく物語が立ち上がる。
私が子育ての忙しい頃に買いそびれた食器洗い乾燥機のことも、ひとしきり悔しがったあとで、この物語に回収してもらえたように錯覚した。
台所とは、人生のあふれる、独特で迫力ある一角なのだ。
はらだひか/1970年、神奈川県生まれ。2005年「リトルプリンセス2号」でNHK公募ラジオドラマ最優秀作。07年「はじまらないティータイム」ですばる文学賞受賞。『三千円の使いかた』は100万部超のベストセラーとなる。本書は第175回直木賞候補に。
こがちかこ/1979年、東京都生まれ。エッセイスト。著書に『おくれ毛で風を切れ』『忘れたこと、忘れないままのこと』『暮らしの信じ方』等。
