『あらびき』にずっと出てたら、『R-1』は優勝していない
―― 『R-1』の前に『あらびき団』がありましたね。
ザコシショウ あれはすごく良かったですね。ピン芸人になって名前が知れ渡ったのって、『あらびき』がきっかけですから。『あらびき』って、ネタだけ流して、司会の2人(東野幸治、藤井隆)とは絡まない。たぶんあのとき、絡みがあったらもう地獄だった、空回りしてたと思います。そりゃあ、僕もいろいろ経験を積んで、いまは絡みがあったほうがいいかなとは思うんですけど。
―― ネタ選びはどのように?
ザコシショウ 『あらびき』で最初にやったのは段ボールネタの「アシュラマン漫談」。オーディションに出ていたときに「これだな、その段ボールみたいな感じのやつ、いっぱいない?」って発注されましたね。それで段ボールばっかりやっちゃって。同時期に『R-1』予選にも出てたんですけど、もう『あらびき』にしか求められない。『あらびき』は、両サイドに東野さん、藤井さんがいてツッコんでもらって笑いになった。でもそういうツッコミがいない自分が『R-1』に出たって、ウケるわけないですもんね。『あらびき』にずっと出ていたら、たぶん『R-1』優勝していないです。「ああ、これでいいんだ」って思っちゃって。
最初は白ブリーフでやっていた「誇張ものまね」
―― そこから「誇張ものまね」にはどういう経緯で。
ザコシショウ 『あらびき』の放送が終わったんですよ。それで出る番組がなくなって。しばらくしてCSで『あらびき』が再開するってなったときに、「もうキャラクターものはちょっと厳しい」「ものまねとかだったら、ぎりセーフだよ」って言われたんです。単独ライブでは「ものまね30連発」みたいなパッケージをずっとやっていたんですよ。あくまでもライブの企画で、本ネタにしようって思ってなかったんですけど。『あらびき』でやるネタがなくなっちゃったから、それを2分くらいに切ってやろうと思ったのが「誇張ものまね」の始まりですね。『あらびき』では特に火がつかなかったんですけど、『R-1』にそのパッケージで出てみたら、ちょっとウケだしたんです。優勝する前年に3回戦でドカウケしながらも落ちたんですけど。
―― R-1は3回戦が鬼門と言われていますね。
ザコシショウ そのときね、白ブリーフだったんですよ。お客さんみんな、白ブリーフを毛嫌いして、「なんかいやらしい感じに見える」って言われた。それで次の年に黒パンにして、ちょっとスポーティーな感じにしようと思って、ハハハ。そうしてもうちょっとネタを研ぎ澄ましたら、安定してウケて決勝いったんです。
「白ブリーフはタモリさんへのオマージュなんです」
―― 白ブリーフでものまねを始めたのはいつ頃?
ザコシショウ ものまねを始めたときからなんで10年前からですね。白ブリーフは、タモリさんのオマージュなんですよ。昔イグアナのモノマネとか白ブリーフでやってたじゃないですか。
―― ああ! タモリさんの形態模写から!
ザコシショウ そうです、ものまね=形態模写=白ブリーフだと。その人の服装に着替えてそっくりにするものまねじゃなくて、連発で色んな人に扮するフォーマットだから裸でやるほうがいい。あと僕は手足が短くてコミカルな体型をしてるから、スーツとか着ると線が見えなくなってもったいない。服を着ないといけないところでは服を着てやりますから、裸芸人とはちょっと系統が異なるんです。(とにかく明るい)安村とかは、そういうわけにはいかないじゃないですか。最初は全身タイツでもいいかとも考えたんですけど、全身タイツよりパンツ一丁のほうが、なんかくだらなさがあるから。