20歳のタイ人とルームシェア
大江 ニュースクールでは、人種や国籍はもちろん、キャリアや年齢もまったく関係なかった。僕が落ち込んでいると、同期で入った若い女の子が「千里は大丈夫」って励ましてくれたり、そういうことが普通にありました。
速水 その女の子は何歳くらい?
大江 20歳です。そして僕が50歳。見た目だけはベテランでしたよ(笑)。
おぐら 20歳のタイ人とルームシェアしていたこともあったと。
大江 しばらくしてましたね。その彼はドラマーで、すごく上手でした。一緒にしゃぶしゃぶを食べに行った時に、店の人が「今日は母国からお父さんがいらしてるんですね」って言うわけ。
速水 普通そう思いますね。
大江 そうしたら店を出た後、彼が「千里はお父さんじゃない。僕の友達だ」って言うんですよ。「君は父ほど歳とってないよ」って。だから僕は「大丈夫だよ」「そんなことで傷ついたりしないから」って。
おぐら 日本で積み上げた輝かしいキャリアを置き去りにして、まったく評価されない環境に飛び込んで、47歳でゼロから新しいことを始められたのは、何が大きかったですか? もちろん、ジャズへの欲求は前提にあるとして。
大江 ジャズ愛です。それと今考えると決心を告げた時、まわりが誰も止めなかったのが大きかったかもしれないです。当時のマネージャーに伝えた時も、その前から行っちゃうんじゃないかっていう予兆はあったにせよ、迷いなく「わかりました。すぐに事務所を辞める手続きしてきます」って言うし、ジャズの先生に相談しても「それいいじゃん。ボランティアで付き合ってあげるから、フレーズ覚えて入試の応募しなよ」ってやたら前向きだし、友人に話しても「シャンパンでお祝いしよう!」って。渡辺美里さんに初めて言った時も「千ちゃん、いってらっしゃい」と明るく言ってくれました。
速水 すでに決まっていたコンサートまで中止にして。
大江 でも自分としては、そこまでキャリアを捨てるみたいな感覚はなかったんですよね。
おぐら もし止める人が大勢いたら、結論は変わってたかもしれない?
大江 その可能性もなくはないです。ただ結果的に、止めない人を自分が選んでいたのかなとも思います。あとはもう、自分で費用も負担するわけだし、どうしてもやりたい気持ちは抑えられないし、卒業後どうなるかも今や考えない、とりあえずジャズプレイヤーとして形になるまで絶対にやめないって、熱くなってましたね。
速水 あの時、クイーンズボロブリッジで後ろを振り返って「次に来る時は永住だな」と思った通りになった。
大江 まさに、そうなりましたね。