ニューアルバム『Boys & Girls』で、かつてのヒット曲『格好悪いふられ方』などをピアノ・ソロでセルフカバーした大江千里さん(58)。47歳でジャズを本格的に学び始め、いかにポップスのリズムが身に染み付いているかを痛感し、四苦八苦したという。大江さんが、ジャズミュージシャンへと転身した10年の日々から学んだこととは?(#1から続く)
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もしニューヨークへ戻ることがあれば、その時は永住
速水 ニューヨークにいると、日本とは違う音楽的な影響は受けますか?
大江 ニューヨークは音楽に限らず、生活をエンターテインメントとしてどう切り取るかっていうのが根付いてるんです。まだアメリカへ行ったばかりの頃、向こうで知り合った友達に連れて行かれて驚いたのは、クラブなんですが体育館みたいなところにアフロアメリカンの人たちが500人ぐらいいて、音楽がガンガンにかかってる。それも今まで僕が聞いたことないようなアップビートとグルーブで。そこで音楽を楽しんだり友達になったり、恋人を探したりする人までいる。純粋な欲望が音楽と絡まっているんです。それに人種ごとにクラブや曜日が分かれてて、意外にもあまり互いに交わらない。合衆国なのにって、かなりびっくりしました。
おぐら 街中でブロックパーティーがあったりとか、生活とカルチャーの結びつきが強いですよね。
大江 ブロックパーティーなんて、街中が風船でいっぱいで、いきなり車道や駐車場でバーベキューもはじめちゃうし、ラブもはじめちゃう。それを警察が止めるっていうね。だから僕は、日本で何年間も一生懸命組み立ててきた世界観がガラガラと崩れ落ちるのを、その時はっきりと認識したんです。ここには根源的なものが普通に存在するって。そのことを本能では理解してるんだけど、ここに巻き込まれちゃうと、僕が日本で培ってきたものがどんどん崩壊するという危機感もありました。ここにいたい気持ちと、いちゃいけない気持ちがせめぎ合うような。
速水 それでしばらくは日本と行ったり来たりをするようになると。
大江 当時あくまで自分のリアリティは日本にあるわけで。これ以上ニューヨークにいちゃいけない、日本で腰を据えて、自分の勝負する場所に向けてしっかり曲を書かなきゃって。それでアパートも引き払って、タクシーで空港に向かったんです。そして最後に、クイーンズに渡る橋の真ん中で後ろを振り返ったら、いつも通りのニューヨークのマンハッタンですよ。エンパイアとかクライスラーとか。僕なんかが一人いなくなっても痛くもかゆくもないような、いつもと変わらぬ街がそこにあった。本心ではニューヨークにすごく魅せられていたので「もう二度とこの街には戻らない」「僕は日本でやるんだ」と心で敢えて唱えました。でももし万が一将来戻るようなことがあれば、その時は永住だなって思ったの。