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「昔は貨物列車も走ってたんだけどね」

甲奴駅でお好み焼き屋を営む奥田弘士さん

 ここでもう一度、甲奴駅の奥田さんの話に戻ろう。

「いやね、私が子供の頃は町にもたくさん人がいたんですよ。オトナになってからも青年団で企画してマツタケパーティーみたいなのをやったりした。山でよくマツタケが取れたんです。あちこちからすごくたくさん人が来てね、大成功でしたよ。だけど、だんだん人が少なくなっちゃって、そうなると山の手入れができなくなる。それでマツタケも取れなくなって……。商店街もだいぶ賑やかだったんですよ。駅前で日用品は全部揃う。だけど、後継者がいないでしょう。それでどんどん店じまいしていって、飲食店もほとんどありません。ウチとあと他にいくつか、くらいですよね。そうなっちゃうとますます若い人には不便です。鉄道にしたって、昔は貨物列車も走ってた。木材とかを運んだり、宅急便なんてなかったからそれも鉄道ですよ。チッキって言ってね。だけど、いまは1日6往復だけですからね……」

「帰省してくる子どもたちがかわいそうだな」

 まさに町の栄枯盛衰を見守り続けてきた奥田さん。災害で寸断された福塩線に対する思いもいかばかりか……。

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「でもねえ、私らの生活は変わらんですから。買い物に行くにもクルマだからね。子どもたちは代行バスで学校に行くから多少は不便でしょうけど。ただ、やっぱり列車が来ない駅で店をやっているというのも……。たまにやってくる旅行客もすっかりいなくなっちゃったし、それに帰省してくる子どもたちがかわいそうだな、とは思いますよ」

甲奴駅周辺の街並み

 広島や福山など近くの都市からならば、鉄道がなくともクルマで帰省することができる。けれど、大阪や東京からの帰省となると話が違う。これまでは鉄道で甲奴駅までやってきて、そこからタクシーやクルマを使う人が多かったという。だが、鉄道が寸断された今年のお盆は……。

「ウチの子供なんて、横浜からずっとクルマを運転して帰ってきたんですよ。80歳・90歳のおじいちゃんおばあちゃんが、福山とかまでクルマで迎えに行ったという話もあって。そうなると、やっぱり危ないし、帰省してくる子どもたちも遠慮しちゃうじゃないですか。それでますます帰りにくくなったりして……」