※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2026」の本戦出場作品です。おもしろいと思ったら「文春オンライン」文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】千田一朗 横浜DeNAベイスターズ

東京都在住会社員。横浜市立金沢高校OB。小5で甲子園の鳴尾小に転校し、寡黙に大洋の記事をスクラップしていた。横浜に戻っても、日陰から応援していたが「4522敗の記憶」を手にして以来、情念を吐き出している。文春偏愛選手名鑑も連載中。

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“ヤマザキ”と呼び続ける爺さんが発した妄言

「ヤマザキじゃダメだ。打たれる」

 右隣の席の爺さんが声を上げた。平成31年の4月、ハマスタでの出来事だ。謎の確信に満ちた妄言は、黙って自分だけのものにしておいてほしい。ゾンビネーションのリズムが彼には聞こえないのだろうか。球場が期待と希望で揺れていることに気がつかないのだろうか。それでも、嫌な予感がした。僕は、彼に抗議はできない。彼を黙らせることができるのは、マウンド上のヤスアキしかいない。

 しかし、爺さんの妄言は、10分後に至言になった。阪神の近本のホームランが歓声のレフトスタンドに吸い込まれ、3対2から3対5へ。敗戦を見届けた隣の爺さんは、かすかな声で何かを言った。聞き返そうと横を向いた。僕は言葉を失った。そこにいたのは、まるで大切な宝物を目の前で壊された子どものように悲しい表情をしたひとりの小さな老人だった。

 僕はひと呼吸おいて、「ヤマザキじゃなくて、ヤマサキ。ササキと同じで、濁らない」。試合の結末と関係のない言葉を、その老人に諭すように絞り返した。彼は僕の父だ。川崎球場で初めて野球観戦をしたときのバディ。小学生だった僕は京浜川崎駅(当時)の改札で父を待っていた。キラキラした後楽園とは違う薄暗い球場で、僕が退屈しているように見えたのかもしれない。初の冒険を盛り上げようとして、その日のホストは、蕎麦やコーラをいそいそと買ってきた。そのことは、覚えている。試合内容は忘れた。

山﨑康晃©文藝春秋

昭和から平成、親子で見た守護神の歴史

 それから、付かず離れず、長年の観戦友達となった。仕事から帰ってからTVKで父と子が共有する時間。自宅では負け試合は見ないから、その時間はクローザーの出番だった。斉藤明夫や遠藤一彦の後を継ぎ、新しい時代を拓いたのは、佐々木主浩だ。大魔神が9回のマウンドに立つ姿に、僕らは絶対といっていいほどの安心感を覚えていた。

 その後、守護神が不安定な時期もあったが、待望の山﨑康晃が登場したとき、僕たちが彼に「日本一の大魔神の後継者」の夢を託したのは必然だった。その願いは、半分は現実のものとなっていた。2017年の日本シリーズ第6戦、あの残酷な瞬間を迎えるまでは……。

 9回裏、山﨑が内川聖一に浴びた同点弾。引退後、リビングのソファをシーズンシートにしていた父の中で、何かがプツリと切れた。母によると、父はそれ以来、9回になると落ち着かない。相手の先頭打者が出ようものなら、チャンネルを切り替える。そして時には呪文を吐く。

 内川を天才と思っていた僕は、ショックは長引かなかった。ただ、父を勝ちゲームに連れて行きたい、でもヤスアキが出たら? というジレンマに悩まされた。あの予言ホームランの試合で、僕の賭けは裏目に出て、父の衰えを知り、コロナ禍も重なって、親子での現地観戦もプツリと途切れた。2024年には、下剋上で日本一を果たしたが、ヤスアキは守護神ではなかった。僕は長年のバディとはいえ、毒舌の爺さんを超満員のハマスタに連れ出すことはできなかった。