中国からの使者をもてなす場として誕生し、女性の手で厳格に運営されてきた沖縄の「辻遊郭」。かつて「美妓三千人」とうたわれたこの場所は、現代の常識では計り知れない独自のエチケットや文化を形成していた。
なんと新郎に夜の手ほどきをする風習が存在し、その費用は妻の実家が負担していたというのだ。さらに夫が遊郭へ通うことを妻が公認し、冠婚葬祭では妻がジュリを顎で使う関係性すら成立していた。
地域社会や家庭にまで深く溶け込んでいた「妻公認の女遊び」の実態とは? 沖縄育ちの作家・神里純平氏の新刊『あなたの知らない 怖い沖縄』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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結婚生活の始まりからこうだったので、夫が辻遊郭でジュリを囲うことはほぼ公認となっていた。
『シマの話―風俗・明治の沖縄』には「若し夫をして遊郭に遊ばしむる事能はざるものは婦道をしらざる者とす。故に夫の愛する所の娼妓家に至れば、家内に招きて懇切に待遇するを善行とせり」と書かれている。
事実、ジュリは贔屓にしてもらっている男の家の冠婚葬祭のときには、台所を切り盛りするなどしていたようだ。妻は都合のいい女だと割り切り、顎で使うような関係だったという。
妻公認の女遊び
夫が辻遊郭に出掛けるときは、妻は文句も言わずに夫に正装をさせて、丸型の手提げ提灯を持たせて後ろ姿を見送っていたらしい。辻遊郭のことをうたった次のような琉歌もある。
今降ゐる雨や 雲に宿みそり 里が花ぬ島 着ちゅる間や(歌意=降りしきる雨よ。しばらく雲の中にとどまっていてください。夫は今から辻遊郭に出かけます。せめて到着するまでの間でいいから)
遊郭に出かける夫が雨に濡れることを心配する内容である。辻遊郭がどれだけ生活に溶け込んでいたかが理解できるだろう。
