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「僕は勉強よりもっと大変なことをやってきた」

 記録より記憶に残る選手だったことは間違いない。ただ格闘技エリートとして多くの実績を残しているのも確かだ。1972年ミュンヘン五輪レスリング日本代表だった父親の郁榮氏の影響で、KIDは幼稚園のときからレスリングを始めた。幼稚園から中学生まで試合においては2回しか負けておらず、高校時代はアメリカのアリゾナ州に留学し州のチャンピオンに君臨した。そして山梨学院大時代はインカレで優勝を遂げ、プロ格闘技の世界でもいくつものタイトルを獲得している。ただ惜しむらくは山本家の夢であったオリンピックに出場できなかったことだ。

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 才能はもちろん、気質として、どんな事であってもKIDの目標を設定したときの努力と集中力は半端ではなかったという。以前、郁榮氏は、以下のような幼少期のエピソードを教えてくれた。

「あまり勉強をしない子でね。それが突然小学校6年生のときに受験をしたいから塾へ行かせてくれと言ったんです。家から近く帰ってすぐレスリングの練習ができるという理由で桐蔭学園中学を受けたいと。桐蔭といえば進学校ですから無理だと思ったんです。けど、息子はレスリングの練習を少し休んで1年間、朝から晩まで勉強して受かっちゃったんです。遊びたい盛りだというのに、本当にビックリしてねえ。で、息子が卒業式のとき登壇し“6年間を振り返って”という話をすることになり、『この6年間は、ずっと息の上がるような厳しいレスリングの練習をしてきました。入試のために6年のときから塾にいくようになり、まわりは“勉強大変だろう?”と言うのですが、僕はもっと大変なことをやってきた。勉強は息が上がらないからキツイことありませんでした』と言ったんですよ(笑)」

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「ノリの場合は自分に酔って力を発揮するんです」

 そして類まれな格闘技センスであるが、郁榮氏は「持って生まれた才能」だと言う。姉の美憂さんが、そのへんをさらに詳しく教えてくれたことがあった。

「ノリ(KID)がすごいなって思うのは、イメージする能力。普通、会場が大きければ大きいほど緊張するものなんですけど、ノリの場合は自分に酔って力を発揮するんです。幼稚園からレスリングで場数を相当踏んでいるし、他の格闘家とくらべたら試合慣れしながら育っていった人間なので基礎が違うし、メンタル面においても勝つのが当たり前という意識が強い。加えて、相手をどのように倒すのかといったイメージが試合前から頭の中ですでに出来上がっているんです」

 KIDは、言葉は悪いがまさしく“オカネの取れるファイター”として、2000年代の格闘技ブームの波に乗り、桜庭和志や魔裟斗らとともに“時代の寵児”になった。