松井が来たら整列してお辞儀を…
前回大会のようには、頂点に手が届かなかった侍ジャパン。WBCに向けた戦いは、2月14日の宮崎合宿からスタートした。
メジャー組が後からの合流となるなか、心強い味方がいた。前回優勝メンバーのダルビッシュ有だ。怪我のため、チームアドバイザーとしての参加となった。
「今大会から試合時間短縮のためのピッチクロック、サイン盗み防止のためのピッチコムが導入されましたが、日本には馴染みがない。ダルビッシュさんは影響を危惧しており、対戦するバッターをイメージして投げるようブルペンで指示をしていた」(代表関係者)
ダルビッシュは宮崎でチームを一旦離れて、アメリカで合流するが、
「宮崎から東京までプライベートジェットは使わず、一般客と同じ便で帰ったようです」(同前)
宮崎合宿には、松井秀喜氏も登場。激励して回った。
「井端監督と松井氏は長年の付き合い。実現しませんでしたが、24年のプレミア12でも、井端監督が水面下で臨時コーチとして松井氏招聘を検討していた」(テレビ局関係者)
だが、選手からの評判はイマイチだったようで、
「ダルビッシュさんは実践的なアドバイスをしてくれますが、松井さんは遠慮もあるのか、具体的なことは言わない。でも、松井さんが来たら、練習を止めて整列して『お疲れさまです!』と言わなくてはならないので……」(前出・代表関係者)
初戦の10日前、遂に大谷も凱旋した。
「妻の真美子さんと一人娘、愛犬のデコピンも帰国しました。真美子さんは大谷の都内のマンションで、親族に娘の顔を見せていたようです。東京ドームに観戦に訪れた試合もありましたが、デコピンの検疫のこともあり、マイアミには一緒に行けなかった」(運動部デスク)
合流翌日のフリー打撃で、大谷はライト席5階に推定160メートル弾を放つなど、格の違いを見せつけた。
「スーパースターの大谷に若手は萎縮していましたが、前回より、大谷が積極的に声をかけていた。事実上のキャプテンとしての自覚があったのでしょう」(同前)
さらに器の大きさを見せたのが、3月1日の夜。大阪市内の焼肉屋に選手が集まり、決起集会が開かれた。別の代表選手が明かす。

