「点状石灰化骨異形成症」という、日本で1人しかいない先天性の障害を抱えて生まれたさしみちゃん(30)。骨に軟骨のままの部分があり、生まれた時点で医師から下半身不随や呼吸停止の可能性を告げられていた。現在は"車椅子ギャル"として情報発信を行う彼女が、壮絶な幼少期を語った。
9歳で選択を迫られた「意識が戻らないかもしれない手術」
小学4年生のとき、両親の激しい喧嘩から逃げ出したさしみちゃんは、アパートの2階の階段でつまずき、そのまま下まで滑り落ちてしまう。足に力が入らなくなり、原因を探して全国各地の大学病院を転々とする日々が続いた。数カ月後、脊髄の専門医により「軟骨のまま成長していた首の骨が転んだ衝撃で圧迫され、下半身を司る部分にダメージを与えた」ことがようやく判明した。
治療にたどり着くまでも険しかった。手術法は確立されておらず、引き受けてくれる医師はなかなか見つからない。ようやく横浜の先生が手術を申し出てくれたが、条件は厳しかった。
「3割の確率で失敗して、もしかしたら全く歩けなくなるかもしれないし、意識が戻らないかもしれない」
そう告げられた上で、両親は「もう9歳だから手術するかしないか自分で決めたほうがいい」と判断を本人に委ねた。1人で診察室に入り、先生に問われたさしみちゃんはこう答えた。
「わかんないけど、やる」
診察室を出ると、母親がギャン泣きしながら「どっち? 手術するの?」と尋ねてきた。そこで初めて、自分がいかに大きな決断をしたかを悟ったという。
手術は足の骨を首の軟骨だった部分に移植するもので、計3回に及んだ。入院期間は1年半。その間にクラスの子たちから寄せ書きが届いたが、「早く元気になってね」という言葉を見て、さしみちゃんは違う感情を覚えた。
「この間まで当たり前に一緒に生活してたのに、『私って元気じゃない側の人なんだ』って突きつけられる感じがした」
復学後は自分のいたポジションに別の子がおり、車椅子も使い始め、転べない制約の中で体育は見学のみとなった。中学では移動教室の度に時間が足りず、修学旅行では仲の良い友人と別のグループに振り分けられた。外出すればジロジロ見られ、勝手に写真を撮られることもあった。
「あんなに手術や入院で頑張ったのに、なんで知らない人たちに興味本位で見られなきゃいけないんだろう」
つらい思いも、親には一切打ち明けられなかった。「障害があっても気合いで頑張れ!」という空気の家庭で、すべてを1人で抱え込んできたという。9歳の決断から始まった彼女の人生が、その後どう展開したのか。インタビュー本編では、さらに詳しく語られている。


