2023年には、ノンフィクションの分野でも「発達障害アンダーグラウンド」[※2]と銘打って、むしろ悲惨な身上の当事者ばかりを採り上げる(私に言わせれば、ずいぶん露悪的な)企画が始まった。発達障害は脳の特性として「他人の内面」を察するのが難しく、周囲との人間関係を破綻させてしまう例があるためだ。

 メディアがキラキラと装飾すればするほど、「実態はそうじゃない」と暴露し、覗き見しようとする欲求も高まる。だいぶ前から堤防の上限ギリギリまで来ていた水位が、『みい山』でついに溢れ出したというのが、今年起きたことなのだ。

 どうすればいいのだろうか。日本のカウンセラーの草分けで、かつアルコール依存症――日常がまるごと酒に溺れて、最も「キラキラさせにくい」疾患から臨床を始めた、著者の信田さんの答えははっきりしている。

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 この人は障害があっても「溺れてません」のように誇示するのは、ケアじゃない。大事なのは反対に、健常者と呼ばれる人でもなにかに「溺れている」ことに、気づくことだ。

「健常者」もまた何かに溺れている――多数派の病を自覚したときに真の多様性が見える

「溺れる」を精神医療の用語に直すと、「依存」になる。正式な病名になっているのはアルコール・薬物・ギャンブル・ゲームの4つだが、ネット利用・ショッピング・ダイエット・セックスなど、比喩として「依存症」が用いられる対象と無縁に暮らす人は誰もいない。

 食事せずに生きていける人はいない点で、本来はあらゆる人がカロリーに依存している。もしその一部にだけ「摂食障害」のような病名がつくとしたら、こんな風に食べないと「生きていけない」という度合いが、全体の中央値から外れてしまったからにすぎない。

 そんなズレは、どこから起きるのか。自分のことを周囲と対等な「ふつう」の人だと感じさせない、傷つきやトラウマこそが犯人だというのが、信田さんの診断だ。

 摂食障害の人たちは小さな自分の身体を「主戦場」にして、勝利を収めようと日々試みている。カロリー計算を武器にし、体重をコントロールする世界で生きる。そして太らないことで「ああ、今だけは許されている」と安堵する。

 (中 略)

 その人たちは、個性的な食行動・摂食行動によって助けられたのである。食べて吐いて、ギリギリまで痩せることで、なんとか生きてきたのである。それこそがアディクションの、依存症の意味なのではないか。(87-88頁)

 問題はなにかに溺れる(依存する)人ではなく、そんな「溺れ方」につけこんで搾取する人の側にある。薬物依存者からクスリ代を取り立てる売人が典型だが、一見すると溺れている「本人」にお金を落とす場合もあることが、事態をいっそう困難にする。