「オニツカタイガー」の源流は、前身であるオニツカ時代に発売したバスケットボールシューズ「タイガー」にある。
タイガーの開発では、「こんなデタラメな靴があるか!」と酷評を受けたこともあったという。そんな“初代オニツカタイガー”ともいえる商品の開発舞台裏を、財部誠一氏の新著『敗れてもまた走れ アシックス創業者 鬼塚喜八郎の情熱「オニツカタイガー」を創った「靴の鬼才」はなぜ世界と戦い続けたか』(NewsPicksパブリッシング)から一部抜粋してお届けする。(全2回の後編/前編を読む)
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酷評を受けても、めげずに研究開発を続けた
当然のこと、バスケットボールシューズに求められる機能をしっかり詰め込んだ試作品をつくってくるだろう、と松本は考えていたが、喜八郎は、ただがむしゃらに試作品をつくること自体を目的に突っ走ってしまった。ゴールセッティングができていなかったのだから、松本が怒るのも無理はない。
「本気でバスケットボールシューズをつくりたいなら、毎日練習を見に来い。そこで選手の足の動きとシューズの具合を詳細に観察してから、試作品をもってこい」
もっともな話だ。
それからというもの、毎日午後3時になると喜八郎は神戸高校の体育館に足を運び、部員たちが練習する横で球拾いをしながら選手のフットワークを研究しはじめた。同時に、松本からアメリカのバスケットボールの手引書の翻訳を借りて、競技特性を理論的に学んでいった。そこで繰り返し試作品をつくり、神戸高校の選手に履いてもらって感想をヒアリングした。
ところが、これもなかなか厄介で、どれだけよいシューズがつくれたとしても、食の好みと同様、細かいところの感じ方は人それぞれである。極端にいえば、「万人が認めるシューズ」は存在しない。すべてが個別具体という事実を、シューズという1つの商品にどう収斂していくのか。選手それぞれの微妙に違う反応を克明に記録し、それを根気よく改良していくという後年のオニツカタイガーのビジネスモデルの原点は、この神戸高校での喜八郎の経験にあった。
試作を重ねてようやく、これでいけるかもしれない……となった段階で、松本は選手全員にそのシューズを履かせて練習試合を行なった。しかし、本気で試合をしてみると、練習ではわからなかった欠陥が露呈した。試作品のシューズは滑りすぎるのだ。オフェンスからディフェンスへ、ディフェンスからオフェンスへと急激に攻守が入れ替わる際、ピタッとストップできずに滑ってしまう。
