ブレイクスルーになった「意外な食べ物」とは?
「これではダメだ」
使いものにならないことは、すぐわかった。靴底のゴムの品質のせいなのか、滑り止めの役割を果たす模様が原因なのかはわからないが、いずれにしても、靴底に問題があることは明らかだった。とはいえ、何をどう改善したらよいのかの見当もつかない。アメリカ製のバスケットボールシューズを手に入れ、分解して調べたりもしたが、答えは見えなかった。
悶々とした日々が続いたある日、自宅で福弥が用意した夕食のおかずに喜八郎は目を落とした。その瞬間、頭のなかを稲妻が駆けめぐった。
「これだ!」
酢の物に入っていたタコの吸盤にその目は張りついた。タコは吸盤の圧力を調整してものを吸着する。この形状を利用すれば、うまくすると滑らないシューズがつくれるのではないか……。
興奮した喜八郎は夕食もそこそこに、金型屋に向かって猛然と自転車のペダルを漕いだ。
もちろんそのアイデアとて、一筋縄ではかたちにはならなかったが、しつこさが売りの喜八郎である。再び試作を繰り返し、いよいよ吸盤付きのソールをもつバスケットボールシューズが完成した。神戸高校の選手たちに履かせたところ、滑りすぎる問題はみごとなまでに解消されていた。
こうして「オニツカのタイガー」は生まれた
しかし、今度は目の前で、試作品を履いた選手たちが急ストップするたび、バタバタと倒れはじめた。
「バカヤロー。捻挫でもしたらどうするんだ」
見かねて松本も声を荒げる。新しいシューズは、止まりすぎたのだ。練習後、松本と喜八郎は話し込んだ。
「アイデア自体は悪くない。しかし、あれでは使いものにならない。ストップ性能をなんとか調整できないか」
吸盤の大きさやかたちを変えるために、再度、金型からつくり直してのチャレンジである。いまでこそ、「靴底=ソール」にさまざまな形状の凹凸をつけることで、競技特性に応じた最適な機能を付与することが当たり前だが、敗戦直後の日本は、テニスシューズでも陸上競技でも、スポーツシューズはズック靴か、地下足袋という時代だった。
その後も松本のアドバイスを受けながら改良を重ね、ついに1951(昭和26)年、「吸着盤型バスケットボールシューズ」が誕生する。喜八郎は当初から、自らが生み出したバスケットボールシューズに「タイガー」というブランド名をつけた。
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