ノンフィクションライター・小野一光氏が、大牟田連続4人殺人事件の「その後」を追う。

 発端は、2004年9月21日に、福岡県大牟田市内を流れる諏訪川で、同市に住む高校生Cさん(当時15)の遺体が発見されたこと。それから2日後の23日には、同じく諏訪川の水中に沈んでいた乗用車内から、Cさんの母のAさん(同58)と、大学生である兄のBさん(同18)、Bさんの友人で高校生のDさん(同17)の遺体が発見された。

 Cさんの遺体が発見された21日のうちに、同市に住む北村真美(同45)が、参考人として所轄署である大牟田署に呼ばれ、22日に死体遺棄容疑で逮捕される。

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 その後、真美に続いて、真美の次男である孝紘(同20)が23日に死体遺棄容疑で逮捕され、長男の孝(同23)も10月1日に死体遺棄容疑で逮捕される。

 さらに同月7日には、真美の聴取中に「女房に会わせろ」と訴えて大牟田署へ押しかけた夫の實雄(同60=25年3月に81歳で獄中死)も死体遺棄容疑で逮捕された(後に4被告全員が、被害者4人への強盗殺人罪などで起訴。なお、實雄は大牟田署において、隠し持っていた拳銃で自殺を図り、当時入院中だった)。

 小野氏は犯人の一人である孝紘と長い間にわたって接触していたが、彼の経歴はひとつ特異な点があった。

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 孝紘の姓は養子縁組によって「I」姓になっている。じつはこのI氏を含めて、孝紘はこれまでに3回の養子縁組をしていた。まずはそのことについての説明をしておきたい。

刺青の師弟関係としての養子縁組

 孝紘は最初にFさんと09年8月に養子縁組をしている。続いてHさんと10年4月に、そしてIさんと11年6月に養子縁組をしたことが、裁判用に添付された資料からわかっている。なお、相手はすべて男性である。

小野一光氏 ©文藝春秋

 孝紘の死刑確定が11年10月であるため、その年と前年、前々年という、駆け込みに近い時期の養子縁組だった。

 その経緯について説明しておくと、まずは東海地方出身のFさんが、拘置所にいる上告中の孝紘に手紙を送ってきたことをきっかけにして、知り合ったようだ。

 後の孝紘による国賠訴訟の際の訴状には、次のように記されている(訴状のアルファベット表記は筆者が変更、以下同)。

〈孝紘とF氏は、F氏が彫師になることを希望していたことから知り合いになり、その後、F氏が孝紘に弟子入りした。

北村孝紘作の刺青の下絵(筆者提供)

 そして、孝紘とF氏は、師弟関係を深めるために、平成21年(09年)8月×日、養子縁組を行ったものであり、このことは、養子縁組後、孝紘がF氏に彫師としての修行先を伝えるなどしていることから明らかである。

 このように、孝紘とF氏の養子縁組は、両者の師弟関係を深めることを目的として養子縁組を行ったもの〉

 なお、孝紘とF氏は同い年であるが、孝紘の誕生日が先だったため、孝紘が養父となり、F氏が養子となった。そのため、孝紘の姓は変わらずに、F氏が北村姓となっている。なお、F氏は後に孝紘の戸籍からは離れている。