続いて、孝紘が養子縁組を行った、関西地方出身のHさんとの出会いについては、訴状に以下のように書かれている。

〈孝紘とH氏は、孝紘が福岡拘置所に未決勾留されている間に、H氏が孝紘の出版した本を購入したことで知り合った以降、信書等を通じて、刺青等について意見交換するとともに、オリジナル商品等の作成・販売事業の確立のために協力してきた。

 そのような中で、孝紘とH氏は、互いに精神的なつながりを求めて、平成22年(10年)4月×日、養子縁組を行った〉

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刺青の下絵画集を出版

 ここに出てくる孝紘の出版した本とは、弁護士の協力を得て作成した刺青の下絵画集のこと。2人が養子縁組を行った当時、孝紘は25歳で、H氏は33歳だった。そうしたことから、H氏が養父となり、孝紘が養子となったことで、孝紘の苗字がHとなったのである。

Q弁護士の協力を得て北村孝紘が制作した雑誌(筆者提供)

 そして関西地方出身のIさんとの養子縁組について、訴状には次のように記されている。

〈孝紘とI氏は、彫師の一門の師弟関係にあり、孝紘が「彫紘」を、I氏が「彫×(*原文実名)」をそれぞれ名乗り、活動していた。

 孝紘の逮捕・勾留後においても、I氏が孝紘に対して、彫師に関する書籍を、弁護士を通じて差し入れるなどして、交流を深めていく中で、師匠であるI氏が弟子の孝紘を精神的に支えるために、平成23年(11年)6月×日、養子縁組を行った〉

 なお、養子縁組を行った時点で、孝紘は26歳、I氏は36歳だった。

※本記事の全文(約4000文字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(小野一光「死刑囚となった孝紘から、親族でもない私に手紙が届くはずはないのに……」)。

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