医師のおおたわ史絵さんは、幼い頃から母の機嫌に振り回され、顔色をうかがいながら育ってきた。母はやがて薬物依存症に陥り、「いっそ死んでくれ」と願うほど母娘関係に苦しんだという。

「自分の思い通りにならないと腹が立ってしまう様子で、一度火が点くと制御ができなくなる」とおおたわさんは振り返る。その壮絶な日々とは、どのようなものだったのか。

 おおたわ史絵さん ©文藝春秋

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「石でできた大きな灰皿を投げ付けられて、額から血が…」

 おおたわさんの母は感情の起伏が激しく、自分の思い通りにならないと激しく怒る人だった。学校帰りに文房具屋へ立ち寄って15分帰宅が遅れただけで激昂し、手当たり次第にものを投げつけた。

「手を使うと彼女の手も痛いから、途中から布団叩きで叩かれるようになりました」とおおたわさんは語る。一度は石でできた大きな灰皿を投げ付けられ、額から血が出たこともあったという。

 暴力はそれだけにとどまらなかった。母はどこかで「お灸を据えると良い子になる」という話を聞いてきて、タバコの火をおおたわさんの手に近づけることもあった。「ごめんなさい、もうしませんから」と必死に謝ることで、ようやく母が舌打ちをしながらタバコの火を消す——そんなやり取りが何度も繰り返されたのだという。

 

「それね、下剤が入っているんだよ」下剤入りのジュースを飲まされたことも

 母が娘に向ける行為は暴力だけではなかった。おおたわさんが太っていることを気に食わなかった母は、ある日「ミルクセーキを作ったよ」と乳白色のドリンクを差し出した。

 飲み切った瞬間、母は笑いながら「それね、下剤が入っているんだよ」と告げた。翌日、おおたわさんはトイレにこもりっきりになるほどの下痢に見舞われたが、母は何ひとつ心配する様子を見せなかったという。

 こうした環境の中で育ったおおたわさんには、小学校中学年の頃から心身症的な症状が現れた。髪を抜く抜毛症で頭頂部が禿げてしまったり、チックや爪を噛む自傷行為が高校まで続いたりしたという。それでも当時のおおたわさんは、「それが普通なんだと思っていた」と語る。

 母の薬物依存、繰り返される暴力、そして「早く死ね」という言葉——複雑に絡み合った母娘関係の全容は、インタビュー本編で詳しく語られている。

〈つづく〉

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