行きつく先は、聞いたことへの後味の悪さ、聞かなければよかったという後悔、相手の苦しみに対する不安と、自分が楽な境遇にいることへのある種の罪悪感、自責の念などを感じるだけだったかもしれない。
会社人間はみな、自分の内面の話をなるべく避けて暮らしていくのが、処世術だと考えている。自分がそうなったらどうしようという怖れが根っこにはびこっていて、そんな同僚の話を聞きたくない、だから聞く態度を取ることができないのだ。
「結局、当たり障りのない話に終始したほうが、人間関係はうまくいくのではないだろうか」
どうどうめぐりをしながら考えつづけて、Sさんは、やはり最後には、Fさんの聞き手になれなかったことへの後悔が胸を占めてしまう。そして「聞くことを身につけることの重要性をこれほど痛感したことはありません」と言って、話の顛末を語り終えた。
「つらい深刻な問題を聞くと、それを自分の中に吸い込んでしまい、それに対する怖れに振りまわされてしまう。逆に、まあまあの生活をつづけている自分に優越感を味わったりしてしまう。自分自身が直面したくない問題に対し、聞かないふりをしたり、説教してみたり、解決策を提案したり、分析や解釈することで、自分の身をかばおうとしてしまうんです。そうした行動が、ありのままに問題を受けとめることを妨げているのではないでしょうか」
Sさんは、独り言のようにつぶやいた。
長い沈黙のあと、Sさんは、再び独り語りを始めた。
「聞き手になれないっていうことの、もう一つの要因は、話し手のほうに強い怖れがあって、聞く前から、無意識のうちに、その強い怖れに感染してしまうことかもしれません。
駆け引き第一の会社人間にとって、うっかり相手を信用して、自分の本心や内面の深いところを打ち明けたりすると、どんなことになるか空恐ろしい。開いた胸の中に、土足でどかどか踏み込まれるかもしれない。
言ったことを曲解されるだけならまだしも、会社中の噂になったり、悪く利用されるかもしれないし……。あげくの果ては、会社をクビになるかもしれない。舌禍どころじゃなくて、相手への信頼が、一家を路頭に迷わせる結果を招くことだってあり得るわけです。こう考えてくると、ひとことで聞くっていうけれど、普通に聞くことと本当に『聞く』ということとは、根本的に姿勢の違う、次元を異にするものかもしれません。傾聴というけれど、本当に『聞く』ということは、並々ならぬ訓練、特に聞く時の自分のあり方が問われそうです。そして『聞く』ことに努めていくと、何だか自分の生き方まで変わりそうな気がしてくるわけです」
Fさんの突然死のことから話し始めたSさんは、黙って耳を傾けている私の前で、自分の考えを口にし、表現したことを通して、さらに自分の考えを深めていくのであった。
Sさんが思いいたったように、確かに「聞く」ためには、聞く姿勢と聞く方法を身につける必要がある。