「あたしは、ただの淫売」
自分に起きたことはすべて自分の罪に対する報いだと信じているのだ。「あたしは、ただの淫売、ただそれだけよ」と語っている。すでに述べたおキミの心情とまったく同じではないか。
タイは仏教の国であり、その教えのなかには生の苦しみと業に対する受容と諦念というメッセージがある。自らに起きた災難は身から出たさびであり、現世あるいは前世の罪を償うものであり、いわば因果応報なのである。
人はこの世の痛みをすべて静かに受け入れなければならない。売られた少女はこうしてこの世の痛みのなかに強制された売春を受容することになる。
もうひとつ注目すべきなのは、いわゆるヒモの役割である。彼は少女の直接的な支配者であり、アメとムチの方策を用いる。少女を暴力で支配し、売春宿から逃げださないように常に監視している。少女が売春宿から逃亡すると、すぐに見つけだし、連れ戻し、ひどい折檻をする。
三日三晩食事を与えないこともあるという。憔悴した少女はヒモの完全な支配のもとに入る。他方でヒモは、少女の扱い方に長けていて、おためごかしの親切でホロリとさせることもある。「おまえが一生懸命働けば、借金が減って、親が喜ぶだろう」などと言って、少女の心をうまくコントロールするのである。現実には借金は減らないのだけれども。
スィリのような少女たちの値段はかなり安いので、長期にわたって働かせるよりも短期に集中的に働かせて、2、3年もたてば、新しい少女と入れ替えた方が利益になる、と売春宿経営者は考えている。病気になり、死にかけている少女の面倒をみようなどという売春宿経営者はいない。
新しく連れて来られた少女は、スィリと同じ経験をする。初めに強姦されると少女は抵抗する気力を失い、自身の尊厳を失う。売春宿では暴力と恐怖が少女たちを支配している。1日に15人もの客が自分の身体を使うという生活にも心理的に適応するようになる。
こうした日常的な虐待に反応して、無気力、自己嫌悪、自傷行為、自殺未遂、精神錯乱、幻覚などに陥り、最後は精神疾患になる者も多いという。そして、使いものにならなければ、あっさりと捨てられるのだ。
