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ここでもう一つ問わなければならないのは、高市政権が皇室典範改正を強行したとき、野党から有効な批判や、国民的な議論への喚起がほとんどなされなかったことだ。むしろ、自民党内に潜在する少数派の「真正保守」が立ち上がり、リベラルを包摂しながら国民と出会う流れが、高市政治に拮抗し、天皇と民主主義を新しく思考し得るのではないか。
今後は、何よりもまず、「生身の人間」としての天皇と皇族自身の意見を国民が聞く回路をつくることから新たな天皇制論議を始めるべきなのである。
天皇と宮家の意見を聞かなかった政治の傲岸
高市政権による皇室典範改正は、当事者である天皇の意見を聞かず、宮家の意見を聞かず、国民の意見も聞かないままに、天皇の生活を規定する法律を定めるという、政治の傲岸(ごうがん)であった。天皇の意見を聞くことは、天皇の政治的行為を意味しない。天皇が「生身の人間」としての自らを主張する当然の権利の行使なのだ。天皇の意見をすべて受け入れるということではなく、天皇と国民が闊達に意見を交わし、より高次の関係がつくられなければならないだろう。それは、平成の天皇が、生前退位のビデオメッセージで自らの境遇と民主主義に合致したあり得べき象徴天皇像を国民に直接問いかけたことへの、国民の側からの応答という意味もある。
※全文では、高市早苗政権の問題点を保阪正康氏が指摘しています。
約9300字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年10月号に掲載されています(保阪正康「愛子天皇は歴史の必然である」)。
