「パートナー」死去後に帰国、90年代に香川県・直島のカボチャのオブジェが話題に
米国で「パートナー」だった年上の芸術家ジョゼフ・コーネルは72年に亡くなり、73年に帰国。その後は生涯独身を貫き、子供ももうけなかったという。
帰国後は小説『クリストファー男娼窟』(83年)を書き、野性時代新人文学賞を受賞した。90年代に入ると世界的な再評価が進み、日本国内でも人気が高まった。
94年、香川県・直島の桟橋の先端に設置されたのがカボチャのオブジェだ。設置に携わった元森美術館館長の南條史生氏が語る。
「せっかくの作品を雨風にさらされる場所に置くことにどう思われるかと気兼ねして提案したら、喜んで快諾してくれたんです」
なぜ、カボチャをモチーフにし続けていたのか。
「『私はカボチャなの』と言うんです。どういうことか聞くと、『堂々として、存在感があって。でもぽっちゃりしてかわいいでしょ? それが私なの』と」(前出・建畠氏)
「世界で最も影響力がある100人」に選出…晩年は病室で作品制作も
瞬間的な閃きは凄まじかった。01年、横浜トリエンナーレでのこと。
「『運河があるので何かできませんか』と相談すると、すぐに『ミラーボール2000個、中国に注文しといて』。いざ運河に浮かべると夕日が反射するさまがあまりに美しくて。立ち会った人はみな泣いていました」(同前)
16年に米『TIME』誌の「世界で最も影響力がある100人」に選出。同年、文化勲章を受章した際には……。建畠氏が言う。
「会見直前まで『あんな場には出たくない』と言っていた。でも、いざ記者たちの前では『皆さんのお顔を見て、本当に(勲章を)もらってよかった』との旨を語ってくれて。ホッとすると同時に、役者だなあと」
晩年は、東京都内の病室で作品制作を続けていた。
「室内で絵画の制作を行える充分な広さがある一室で、かなり高額でしたが、朝から晩まで創作だけに心血を注ぐ姿を見て、入院を後押ししました」(同前)
2年前に南條氏が病室を訪ねると、そこには60センチ程の絵があった。
「見せてくれながら、『これが(今までの作品で)一番良いのよ』と言う。ベッドサイドには自分が特集された新聞の切り抜きが置いてあった。意欲は衰えていませんでした」
水玉の世界は永遠に消えない。
