国内外で俳優として活躍し、スティーブン・スピルバーグ監督作『レディ・プレイヤー1』でハリウッドデビューも果たした森崎ウィンさん(36)。

 ミャンマーで生まれ育ち、10歳でミャンマー人の両親とともに日本へ渡った森崎さんの半生は、決して平坦なものではなかった。来日当初に実感した言葉の壁、そして小学校で直面した“異物”扱い……。彼はいかにしてその過酷な現実と向き合い、乗り越えてきたのか。

 ミャンマーから日本へ移住した当時の孤独と、言葉の壁を乗り越えた瞬間について、インタビューで明かされた貴重なエピソードを紹介する。

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森崎ウィンさん ©深野未季/文藝春秋

「こんないじめがあるんだ」10歳で経験した“深い孤独”

 10歳までミャンマーで祖母と暮らしていた森崎さんは、弟が生まれたことをきっかけに、両親の住む日本へ移住することになった。それまでも両親に会うため度々行っていた日本とはいえ、生活の場となることへの不安は大きかったという。

「小学2年生ぐらいから、年に1回ぐらい、日本に遊びに行っていたんですが、いざ『日本に住む』と言われたときは、純粋に怖かったです。祖母からは、『家族と一緒に住むのが定めだ』と言われていましたが、ずっと一緒に暮らしていた祖母と離れる寂しさもありましたね」

 それから公立小学校に転入。当初、日本語は「ウィンです。よろしくお願いします」と「ありがとうございます」の2つしか喋れなかった。しかし、日常生活で耳にする言葉やアニメのセリフから学び、少しずつ習得していくことができた。言葉の壁以上に彼を苦しめたのは、周囲の目だったという。

「当時は、外国人が転入してくることってあまりなかったと思うんですよね。だから、同級生にとっては、『急に入ってきた異物』みたいな感じだったのかもしれません。みんなの輪に入ろうとすると蹴られたり、とにかく仲間外れにされて。それで屋上で1人で泣いたりもしていましたね」

ミャンマーにいた頃の森崎ウィンさん(写真=本人提供)

ある日、いじめっ子が“友達”に変わったワケ

「俺、めちゃくちゃひとりじゃん」。逃げ場のない孤独に耐えながらも、森崎さんは学校に通い続けた。その原動力となったのは、「負けず嫌い」な性格だったという。どんなに辛い状況でも立ち向かう姿勢を崩すことはなかった。そんな彼に転機が訪れる。

「転入してから1年ぐらい経ったら、僕をいじめていた当人が、逆に僕をいじめから守ってくれるようになったんですよ」

 “異物”扱いから一転、かつてのいじめっ子が守ってくれるようになった意外な理由とは……。そして、ハリウッド映画「レディ・プレイヤー1」出演という大舞台に、どのようにして辿り着いたのか。人生の転機となったエピソードの数々はインタビュー本編で詳しく語られている。

〈つづく〉

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