2018年公開のスティーブン・スピルバーグ監督作『レディ・プレイヤー1』でハリウッドデビューを果たした俳優・森崎ウィンさん(36)。ミャンマーで生まれ育ち、ミャンマー人の両親と10歳から日本で暮らし始めた彼は、現在日本国籍を取得している。
「このままミャンマー国籍を持っていたら、日本に対しても恩返しができないし、ミャンマーに対しても何もできなくて、中途半端だなと思って」
葛藤の末にたどり着いた「日本国籍取得」という決断の背景について、インタビューで詳しく語ってもらった。
外国籍で日本で暮らすのは「本当に大変」
ミャンマー国籍だった時代、森崎さんの芸能活動には常に制約がつきまとっていた。デビュー直後の10代の頃に持っていたのは扶養ビザだったので、週に働ける時間が法律で定められており、マネージャーがロケのスケジュールを細かく調整していた。
自立して興行ビザを取得してからも制約は続いた。ライブハウスの設備によっては出演できないケースもあり、半年から1年ごとのビザ更新のたびに書類の手配が必要だった。ミャンマー国籍のパスポートではビザなしで行ける国が少なかったため、『レディ・プレイヤー1』の撮影中も、アメリカ入国の際や国をまたぐ移動のたびにプロダクションのスタッフが対応に奔走したという。
もどかしさはなかったかと聞かれた森崎さんは「当たり前のことですけど、人様の国にお邪魔して住んでるわけだから、決められたことは守らなきゃいけない」と前置きをした上で、外国籍で暮らしてきた苦労についても語ってくれた。
「ただ、やっぱり外国籍で日本で暮らすのは本当に大変なんですよね。特に子どもは苦労すると思います。親はある程度、外国で暮らすことを決意して来てますが、子どもは連れてこられたり、日本で生まれたけど親が日本国籍ではないことで、思わぬ壁にぶち当たったりすると思うんです」
「このままでは中途半端だ」日本国籍取得までの葛藤
それでも長年、森崎さんはミャンマーのパスポートを手放そうとはしなかった。「それでも俺はこのパスポートを持ち続ける」という強い意志があったからだ。ミャンマーの観光大使にも就任し、「俺はミャンマーと日本の架け橋になるんだ」という思いで活動を続けてきた。
しかし、ミャンマーの状況は変わらなかった。内戦が続き、徴兵制度が始まった。ミャンマーと日本という2つのルーツの間で葛藤し、自分の使命について考え抜いた森崎さんはひとつの結論に至る。
「このままミャンマー国籍を持っていたら、日本に対しても恩返しができないし、ミャンマーに対しても何もできなくて、中途半端だなと思って。それで日本国籍を取ることにしました」
日本国籍を取ると決めてからも、悩みは尽きなかったという森崎さん。「日本人として恥ずかしくない行動ができるかどうか」「日本代表として世界に出ていける自覚はあるのか」葛藤を続ける中で、背中を押してくれた信頼するマネージャーの言葉や、子どもだった森崎さんを入国管理局に連れていった母の“特別な教育方針”は、インタビュー本編で詳しく語られている。
〈つづく〉


