noteでの発信を始める

 両親はIT関連の会社を経営しており、デジタルマーケティングにも詳しい母が投稿プラットフォーム「note」での反論を望み、事故から12日後、父は発信を始めた。

 きっかけは、誤った報道とネット上の中傷に憤りを覚えたことです。知華がこんな酷い言われ方をされたままにすることはできない。それと同時に、今まで感じた理不尽さ、怒り、疑念、さまざまな感情を全て吐露したいと思いました。初めに妻が書きたいことを書き連ね、それを多くの人に読んでもらうため、私が感情を押し殺して仕上げました。

知華さんが母へと書いた手紙

 相談していた弁護士の友人からも「言葉の力は強いから、やるなら一言一句気をつけて」と背中を押してもらい、発信を決めました。とはいえ、私は日頃、SNSさえしないので、「投稿」ボタンを押すのが怖くなり、最初のうちは長女が代わりに押してくれました。

ADVERTISEMENT

 夜中に静まった部屋でnoteに書きながら知華を思い、ひとり泣く。そしてまた手を動かす。目の前の、しなくてはならないことに意識を向けて、悲しみから逃避してきた感じです。娘を喪った淋しさに正面から向き合うことができていないのかもしれません。

引き揚げられた抗議船 Ⓒ時事通信社

 父は知華さんが亡くなった当日からの経過を、学校、ツアー会社、海上保安部、沖縄のホテルやタクシー運転手とのやりとりを交えて、時系列で記していった。抑制された筆致で、学校のずさんな安全管理体制が浮き彫りにされ、大きな反響を巻き起こした。一方、学校への不信感は、事故の知らせを受けた瞬間から始まっていたと、母は振り返る。

会見する両親 Ⓒ時事通信社

 第一報は正午ごろ、ママ友からの電話でした。乗っている船が転覆して知華が救急車で運ばれたようだから、すぐに学校に行った方がいいと言うのです。お子さんから知らせを受けて私に連絡をくれたのでした。慌てて学校へ向かい、昼休みだからと止める職員を遮って事務室に入りました。すると、やって来た校長の西田喜久夫先生が言ったのです。

「お子さんが亡くなったので、お母さんには沖縄に行ってもらうことになります。飛行機を手配しますので、ご自宅で待機してください」

※約9000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年10月号に掲載されています(三宅玲子「『ともちゃん、ごめんね』支えられていたのは、ママの方でした 辺野古ボート転覆事故 両親独占手記」)。
・「基地反対」に偏った研修
・ある弁護士との出会い

出典元

文藝春秋

【文藝春秋 目次】愛子天皇は歴史の必然 保阪正康/転倒・骨折を防ぐ新常識/赤根智子さんの素顔

2026年10月号

2026年9月10日 発売

1300円(税込)

Amazonで購入する 目次を見る
次のページ 写真ページはこちら