「俺は真田家が嫌いだ」。

 歴史時代小説家・井原忠政さんの『真田武士心得〈一〉 右近純情』で、6歳の鈴木小太郎――のちの鈴木右近(すずき・うこん)は、そんな少年として描かれる。両親を失い、真田家で暮らしながら、信幸(のちに信之に改名)夫妻への恩と親の仇への思いを抱えて成長していく。

 実は、この主人公・鈴木右近忠重(ただしげ)は実在した武士だった。

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 そして史料に残る晩年の右近には、意外な「最期」がある。真田信之は家臣たちの殉死を認めないとしていた一方、右近には例外的にそれを認めたとされる。信之の死の2日後、右近は実際に後を追った。

 井原さんは、この実在人物から、どんな主人公を描いたのか。『右近純情』は、その始まりの1冊だ。

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『真田武士心得〈一〉右近純情』

真田家は嫌い。でも、信幸と稲姫だけは別だった

『右近純情』の小太郎は、両親を失ったあと、真田家で暮らす。父母をめぐる噂から冷たい目を向けられ、嫌なことがあっても泣かず、笑わず、胸の中にため込む。

 そんな少年を気にかけたのが、真田家の跡取り・真田信幸(のちの信之)と、その妻・稲姫だった。

 小太郎は真田家そのものには反発している。それでも、自分を受け入れてくれた信幸夫妻には恩を返したい。

 一方で、作中で両親を死に追いやった叔父・中山九兵衛(なかやま・きゅうべえ)への仇討ちも諦められない。

 恩は返したい。仇も討ちたい。

 その2つの「純情」を抱えたまま、少年は成長していく。

仇討ちへ向かう右近に、信幸が渡したもの

 15歳になった右近は、九兵衛を追うため、信幸に自ら「改易」――家臣の身分を解いてほしい、と願い出る。仇討ちで何かあっても主家に迷惑をかけないよう、自分を家臣ではなくしてほしい――そう考えたのだ。

 信幸はそれを認める。

 ところが、去っていく右近に銀を渡し、槍の使い手・榛名大吉(はるな・だいきち)を家臣につけ、さらに柳生宗章(やぎゅう・むねあき)への紹介状まで用意する。家臣ではなくなる男を、ここまでして送り出したのだ。

右近の家来の榛名大吉(右)と、のちに従僕となる権蔵(左)
右近の剣の師匠となる柳生宗章

 右近も、その厚意を忘れない。信幸には必ず恩返しをする。そう心に決める。

 仇討ちへの旅なのに、この主従のやり取りはどこか可笑しい。悲劇から始まった物語が、ここから右近と周囲の人間たちの掛け合いによって、ぐっと軽やかに動き始める。

 その先で右近は柳生宗章と出会う。飄々とした宗章は、仇討ちに一直線な右近に山稽古や雑巾がけを命じる。右近は内心反発しながらも、宗章の言葉に従い、少しずつ腕を上げていく。

 宗章のもとで鍛錬を重ねた右近は、やがて身の丈6尺2寸(約186センチ)、全長7尺1寸(約2m15㎝)の長大な野太刀を振るう武士へと成長していく。

 無口な右近、よく喋る大吉、つかみどころのない宗章。人と出会うたびに、頑なだった右近の世界が少しずつ広がっていく。そこに、このシリーズを追いかける楽しさがある。